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安吾巷談
あんごこうだん |
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作品ID | 43173 |
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副題 | 02 天光光女史の場合 02 てんこうこうじょしのばあい |
著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 08」 筑摩書房 1998(平成10)年9月20日 |
初出 | 「文藝春秋 第二八巻第二号」1950(昭和25)年2月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 宮元淳一 |
公開 / 更新 | 2006-02-03 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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松谷事件は道具立が因果モノめいていて、世相のいかなるものよりも、暗く、陰惨、蒙昧、まことに救われないニュースであったが、骨子だけを考えれば、昔からありきたりの恋の苦しみの一つで、当事者の苦しみも察せられるのである。
骨子は何かと云えば、
一、政治意見の対立する男女が円満に結婚生活と政治生活を両立せしめうるか。
二、男には妻子がある。
悲しい恋の骨子というものは、何千年前から、似たようなものだ。親父同志が敵味方であるのに、その倅と娘が恋に落ちたという話なら、何千年前のギリシャにも、何百年前の日本にも、又、類型はいたるところに在ったことは、私が今さら例をあげるまでもない。異教徒の恋、異人種の恋、悩みに上下はない。兄妹の恋、近親の恋、いずれも世に容れられず、世の指弾と闘わなければ生きぬくことができない。
骨子としては、そう珍しいものではないし、変ったところはないのであるが、道具立が珍妙、陰惨、蒙昧、何千年来の恋の茶番劇にも、これほど因果モノめいた脚色は先ず見ることができない。ピエロや、アルカンや、コロンビーヌや、ジャンダルムが活躍し、スガナレルやフィガロが登場しても、これほどの因果モノ的ナンセンスを生みだすことはできなかったのである。事実は小説よりも奇なりというが、これを又、一生ケンメイに報道している例えば朝日新聞の朝五時十五分脱出、墓参の記というあたり、読んでごらんなさい。
「月明りの中にポカリと黒い人影が二つ……ザクザクザクと霜柱をふみしめながら寂しい松林をすすんで……東天かすかに白み細々と立ちのぼる線香の煙……一分、二分、……五分……この朝の劇的な門出を母の墓前に報告し、その許しを乞う姿なのである……」
「機関銃はダダダ……爆弾はヅシンヅシン、アッ日の丸の感激、思わず目頭があつくなり……」
戦争という言論ダンアツのせいで文章がヘタになったというのはウソの骨頂で、言論自由、もっとも文才華やかなるべき当節に於て、右の二つ、変るところなし。
文章は綴り方だけではない。作者の思想が品格を決定する。右の二つの文章から、作者の思想をさがせ。
(試験問題)
だから、新聞というものは、事実の正確な報道だけをムネとして、記者の感情や批判をミジンも出さないようにすれば、私のような三文文士にケチをつけられる筈はないのである。
二三カ月前、読売新聞だけがこの恋愛をスクープしたとき、女史の父正一氏が狂的な怒りをあらわして、天光光は自分が育てた子供だから自分の意志の通りに行動させる。きかなければ天光光を殺して一家心中する、という大変な見幕であった。呆気にとられたのは私一人ではなかった筈だが、これとても、骨子は狂ってはいない。つまり正一氏が結婚反対の理由としてあげている骨子は、
一、政治意見の異る二人に結婚生活は両立しない。
二、男には妻子があり、天光光のために妻子をすて…