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水鳥亭
みずとりてい
作品ID43187
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 09」 筑摩書房
1998(平成10)年10月20日
初出「別冊文藝春秋 第一五号」1950(昭和25)年3月5日
入力者tatsuki
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2006-06-14 / 2014-09-18
長さの目安約 63 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一匹のイワシ

 日曜の夜になると、梅村亮作の女房信子はさッさとフトンをかぶって、ねてしもう。娘の克子もそれにならって、フトンをひっかぶって、ねるのであった。
 九時半か十時ごろ、
「梅村さん。起きてますか」
 裏口から、こう声がかかる。
 火のない火鉢にかがみこんで、タバコの屑をさがしだしてキセルにつめて吸っていた亮作は、その声に活気づいて立ち上る。
 いそいそと裏戸をあけて、
「ヤア、おかえりですか。さア、どうぞ、おあがり下さい」
 声もうわずり、ふるえをおびている。
 野口は亮作の喜ぶさまを見るだけで満足らしく、インギンな物腰の中に社長らしい落付きがこもってくる。彼は包みをといて、
「ハイ。タマゴ。それから、今朝はイワシが大漁でしてね」
 タマゴ三個と十匹足らずのイワシの紙包みをとりだしてくれる。
「これはウチの畑の大根とニンジン」
 それらの品々は亮作の目には宝石に見まごうほどの品々であった。彼は茫然とうけとっているのである。その目には、涙が流れさえするのであった。
「もう、みなさんは、おやすみですか」
「いえ、かまいませんよ。どうぞ、あがって下さい」
「いま伊東からの帰り路ですよ。まだウチへ行ってないのです。おやすみ」
 野口は笑顔を残して、静かに立去る。
 日曜の夜の習慣であった。信子と克子は、これが見たくないので、早々にフトンをひッかぶって、ねてしもうのである。
 そのくせ信子も克子も野口のくれた物を存分に食う。さかんにくれた人と貰った人の悪口をわめきながら食うのである。
「そんなに厭な人から貰った物なら、お前たち、食うな」
 亮作は怒りにぶるぶるふるえるが、二人の女はとりあわない。そして益々悪口を叫びつづける。
「なんですね。あの男は。この子の生れたころは、あなたの同僚ですよ。ひところは失敗つづきで、乞食のような様子をして、ウチへ借金に来たことだってありましたよ。それになんですか。いくらか出世したと思って、たかが戦争成金のくせに、威張りかえって」
「威張っておらんじゃないか」
「威張ってますよ。昔はキミボク、イケぞんざいに話し合っていたくせに、いくらか出世したかと思って、あなた、私。おお、イヤだ。以前なら、いま伊東の帰りだよ、といったところを、いま伊東の別荘からの帰り路なんですよ。なんてイヤらしい」
「バカな。へりくだっているんじゃないか」
「ウソですよ。へりくだると見せて威張るのよ。悪質の成金趣味よ。ねえ、克子」
「そうよ。無学文盲の悪趣味よ。裏長屋の貴族趣味ね」
「バカな。お前らのハラワタが汚いから、汚い見方しか出来ないのだ。だいいち、野口君は、伊東の別荘などと言いはせん。いつも、ただ、伊東の、という。つとめて成金らしい口吻をさけているのが分らんか」
「つまんない。裏長屋のザアマス趣味をひッくりかえしただけよ」
 女子大生の克子…

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