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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID4319
副題25 みちりやの巻
25 みちりやのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠10」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日
「大菩薩峠9」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日
入力者tatsuki
校正者原田頌子
公開 / 更新2004-03-05 / 2014-09-18
長さの目安約 236 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 武州沢井の机竜之助の道場に、おばけが出るという噂は、かなり遠いところまで響いておりました。
 ここは塩山を去ること三里、大菩薩峠のふもとなる裂石の雲峰寺でもその噂であります。
 その言うところによると、この間、一人の武者修行の者があって、武州から大菩薩を越え、この裂石の雲峰寺へ一泊を求めた時に、雲衲が集まっての炉辺の物語――
 音に聞えた音無の名残りを見んとて、沢井の道場を尋ねてみたが、竹刀の音はなくして、藁を打つ男の槌の音があった。
 昔なつかしさに、その道場に一夜を明かしてみたところが、鼠のおばけが出たということ。木刀を取り直して打とうとした途端、その鼠の顔が、不意に、馬面のように大きくなったということ。
 そこで、イヤな思いをして、翌日は早々、御岳山に登り、御岳の裏山から氷川へ出で、小河内で一泊。小河内から小菅まで三里、小菅からまた三里余の大菩薩峠を越えて、あの美しい萱戸の長尾を通って、姫の井というところにかかると、そこでまた、右の武者修行が、ゾッとするものを一つ見たということであります。
 古土佐の大和絵にでもあるような、あの美しいスロープの道を半ばまで来た時分。俗にその辺は姫の井といって、路傍には美しい清水が滾々と湧いている。
 朝は小河内を早立ちだったものですから、足の達者な上に、気を負う武者修行のことで、ここを通りかかった時分が日盛りで、ことにその日は天気晴朗、高山の上にありがちな水蒸気の邪魔物というのがふきとったように、白根、赤石の連山までが手に取るように輝き渡って見えたということです。それで、その、青天白日の六千尺の大屏風の上を件の武者修行の先生が、意気揚々として、大手を振って通ると、例の姫の井のところで、ふいにでっくわしたのは、蛇の目の傘をさした、透きとおるほどの美人であったということですから、聞いていた雲衲も固唾をのみました。
 武者修行も、実は、そこで度胆を抜かれたということであります。
 第一、前にもいった通りの青天白日の下に、蛇の目の傘をさして来るということが意表でありますのに、どこを見ても連れらしい者は一人もなく、悠々閑々として、六千尺の高原の萱戸の中を、女が一人歩きして来るのですから、これは、山賊、猛獣、毒蛇の出現よりは、武者修行にとっては、意表外だったというのも聞えないではありません。
 また、どうしても、細い萱戸の路で、摺れちがわなければ通れません。
 ところが右の蛇の目の美人は、あえて武者修行のために道を譲ろうともせずに、にっこりと笑って、自分を流し目に見たものですから、武者修行が再びゾッとしました。
 こいつ、妖怪変化! と心得たものの、やにわに斬って捨てるのも、うろたえたようで大人げない。一番、正体を見届けて、その上で、という余裕から来る好奇も手伝ったと見えて、その武者修行が、
「どちらから…

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