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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID4321
副題29 年魚市の巻
29 あいちのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠11」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日
「大菩薩峠12」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日
入力者tatsuki
校正者原田頌子
公開 / 更新2004-04-04 / 2014-09-18
長さの目安約 487 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

年魚市は今の「愛知」の古名なり、本篇は頼朝、信長、秀吉を起せし尾張国より筆を起せしを以てこの名あり。

         一

 今日の黄昏、宇治山田の米友が、一本の木柱をかついで田疇の間をうろついているのを見た人がある。
 その木柱は長さ約二メートル、幅は僅かに五インチに過ぎまいと思われます。
 これを甲州有野村の藤原家の供養追善のために、慢心和尚がかつぎ出した木柱に比べると、大きさに於て比較にならないし、重量に於ても問題にならないものであります。
 本来、米友の気性からいえば、道理と実力が許す限り、他人が七十二貫のものをかつげば、自分もそれをやれないとは言わない男ですが、単に、たれそれが材木をかついだから、お前も材木をかつがねばならぬという、無意味な競争心と、愚劣な模倣のために、焦躁する男ではありません。
 第一、慢心和尚が、いつなんらの目的で、どれほどの木柱をかつぎだしたか、そんなことを旅中の米友が知っているはずがなし、それに地形そのものが、また大いに趣を異にして、あちらは、四方山に囲まれた甲府盆地の一角であるのに、これは、田野遠く開けて、水勢甚だ豊かに、どちらを向いても、さっぱり山というものは見えないようです。
 それは黄昏のことで、多少のもやがかかっているとはいえ、どの方面からも、山気というものの迫り来る憂いは更にないから、どう考えても、ここ十里四方には、山らしい山というものは無いと思わねばなりません。
 その代り、水の潤沢であることは疑いがないらしい。そうかといって、常陸の霞ヶ浦附近や、出雲の宍道湖畔のように、水郷といった趣ではないが、大河が四境を圧して、海と持合いに、この平野がのびているという感じは豊かである。
 見渡す限りは、その大河の余流を受けた水田で、水田の間に村があり、森があり、林があり、道路があって、とりとめのない幅の広い感じを与えないでもない。
 米友が件の田疇の間を、木柱をかつぎながら、うろついて行くと、楊柳の多いところへ来て、道がハッタと途切れて水になる。
 大抵の場合は、それを苦もなく飛び越えて、向う岸に移るが、これは足場が悪い。距離に於ては、躍って越えるに難無きところでも、辷りがけんのんだと思う時は、彼は気を練らして充分な後もどりをする。
 葭と、蘆とが行手を遮る。ちっと方角に迷うた時は、蘆荻の透間をさがして、爪立って、そこから前路を見る。出発点は知らないが、到着点の目じるしは、田疇の中の一むらの森の、その森の中でも、群を抜いて高い銀杏の樹であるらしい。
 こんなふうに、慣れない田圃道を、忍耐と、目測と、迂廻とを以て進むものですから、見たところでは、眼と鼻の距離しかないあの森の、銀杏の目じるしまで至りつくには、予想外の時間を費しているものらしい。
 そこでいくら気を練らしても、持って生れた短気の生れつきは、如何ともし難いもの…

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