えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

明治開化 安吾捕物
めいじかいか あんごとりもの
作品ID43215
副題13 その十二 愚妖
13 そのじゅうに ぐよう
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 10」 筑摩書房
1998(平成10)年11月20日
初出「小説新潮 第五巻第一三号」1951(昭和26)年10月1日
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-07-28 / 2017-05-25
長さの目安約 57 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 近ごろは誰かが鉄道自殺をしたときくと、エ? 生活反応はあったか? デンスケ君でも忽ちこう疑いを起すから、ウカツに鉄道自殺と見せかけても見破られる危険が多い。けれども明治の昔にこの手を用いて、誰に疑われもしなかったという悪賢い悪漢がいたかも知れない。法医学だの鑑識科学が発達していないから、真相を鑑定することができないのである。指紋が警察に採用されたのが明治四十五年のことだ。
 ところが犯人にしてみると、科学の発達しない時の方が、かえって都合が悪いようなこともあった。その当時は世間の噂、評判というようなものが証拠になりかねない。殺された人物と誰それとは日頃仲が悪かった、という事だけでも一応牢へぶちこまれるに充分な理由となる。だから当時の犯人はアリバイがどうだの、血痕がどうだのということよりも、ふだん虫も殺さぬような顔をして行い澄ましているのが何よりの偽装手段であった。ホトケ様のような人が人を殺したり、孝行息子が親を殺す筈はないと世間の相場がきまっているから、そういう評判の陰に身を隠すぐらい安全な隠れ家はない。殺した人間を遠方へ運んで行って自殺に見せかけるような手間をかけても、評判が悪ければ何にもならない。
 ところが、ここに、草深い田舎のくせに珍しい偽装殺人事件が起った。しかも、鉄道自殺と見せかけたものだ。
 現代の皆さんは、ナンダ、珍しくもないじゃないか、と仰有るかも知れないが、当時はケゴンの滝へ身を投げるという新風に先立つこと十数年、まして三原山や錦ヶ浦は地理の先生でも御存知ない時の話だ。
 すべて新風を起すとは容易ならぬことで、ケゴンの滝や三原山に狙いをつけるのも教祖の才によるらしい。死ぬについてもタタミの上や月並なところはイヤだ。死神につかれたギリギリのところで、こういう慾念を起すのはアッパレな根性で、風雅の道にもかなっている。そこで彼の発見した手口が先例となって後に続く無能の自殺者がキリもないとなれば、彼を教祖、開祖と見立てて不都合はなかろう。
 ところが、鉄道自殺の開祖はハッキリしませんナ。明治の新聞をコクメイに調べれば、第一号を突きとめるのは不可能ではなかろうが、その名が喧伝されていないのは、その手口の発見が教祖の名にかなうほど卓抜なものと認定されないせいかも知れない。なるほど、そう云えば、遠い国から志を立ててケゴンの滝や三原山へ身を投げに行く人はあるが、鉄道自殺の方はその土地に有り合せだから、これで間に合せようという性質のもので、汽車の通らぬ山奥の人が、オレはどうしても鉄路を枕に死にたいと云ってハルバルでかける性質のものではないらしい。
 現代人は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライである。もっとも、自殺する人間は昔も今も変りなく存在したのだが、自殺しない人間の趣味として、現代は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライというわけで、ケゴンの滝や三原山だと遺…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko