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桂離宮
かつらりきゅう |
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作品ID | 43226 |
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著者 | 野上 豊一郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「草衣集」 相模書房 1938(昭和13)年6月13日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2006-11-02 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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障子の影
桂離宮の書院から庭に面して、折れまがりに小さい三つの部屋が、一ノ間・二ノ間・三ノ間とつづいてゐる。
その一ノ間の障子に、折からの小春の西日があかるくさしてゐた。
障子は、左右が半間づつの板戸に仕切られ、腰板のないのが二枚、つつましやかに、ものしづかに並んで、晝間もほのぐらさのただよつてゐる部屋の中へ無遠慮に押し入らうとする強烈な日光を、方六尺の白紙で遮り止めてゐた。その正方形の窓――それがどうして窓でないと云へよう――の右上から左下へかけて、對角線を引いて、下半分が青黒い蔭になつてゐた。それは此の部屋につづく隣りの建物の屋根の影であつた。また正方形の上部の一邊に接して、此の部屋の廂の瓦の影が、粗い波形を描いて縁どつてゐた。
私たちはその豫期しなかつた白と黒の幾何學的影像の前に來て、はたと足を留めた。和辻君は、此の部屋の障子に腰のないのは、此の日影の效果を豫想しての小堀遠州の考案ではあるまいか、と云つた。私は、さうだね、と云つて考へた。
私たちの訪問は大正十五年十一月八日午後三時ごろだつた。
その時、私のあたまの中では、秋の日ざしと、冬の日ざしと、春の日ざしと、夏の日ざしのことが比較された。それから午後の太陽の角度と午前の太陽の角度のことが比較された。それから、晴れた日と、曇つた日と、雨の日のことが比較された。それから……
併し、百の辨證の與件も何にならう。現に私たちの目の前には、恐らくいかなる美術家も想像し得ないであらうほどの、獨創的な、印象的な、すばらしい圖案が、二枚の障子の上に描き出されてあるではないか。さう私は思つた。その考案者は小堀遠州であつたか。それとも、太陽を動かしてゐる自然であるか。それを、その場合、咄嗟にきめることはできなかつた。けれども、私たちの前に一つのすばらしい藝術品があつたことだけは事實である。
書院から泉水を隔てて約二百メイトルの小山に立つ松琴亭の床の間には、白と青の方形の加賀奉書が大きな市松模樣に貼られてあつた。その大膽不敵な手法を、今一つ思ひきつて更に大膽不敵に、而かも斷えず動く日光を素材にしての手法は、たとひそれが一年のうちの或る限られた季節の、或る限られた時刻のものであるとしても、どうしてそれが小堀遠州の創意でないといふ證明がつけられ得ようか。
――此の感想の寓意は、藝術はどの時代のものでもわれわれの見る瞬間に於いてのみ感じ得るものだ、といふことである。
賞花亭
松琴亭から山道を辿つて、螢谷の孟宗竹を左手に見おろしながら月見臺へ出ると、その傍に一つの異風な亭が立つてゐる。賞花亭と名に呼ばれれば、桂の離宮の一景物らしくも聞こえるが、以前は紺と白の染分の暖簾の「たつた屋」と書いたのが軒に垂れてゐたといふ。ことほど左樣に、鄙びて、下世話にくだけた、どこか古驛の茶店とい…