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チューインガム
チューインガム |
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作品ID | 43256 |
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著者 | 寺田 寅彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「寺田寅彦全集 第七巻」 岩波書店 1997(平成9)年6月5日 |
初出 | 「文学」1932(昭和7)年8月 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2004-12-17 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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銀座を歩いていたら、派手な洋装をした若い女が二人、ハイヒールの足並を揃えて遊弋していた。そうして二人とも美しい顔をゆがめてチューインガムをニチャニチャ噛みながら白昼の都大路を闊歩しているのであった。
去年の夏築地小劇場のプロ芝居を見物に行ったときには、四十恰好のおばさんが引っ切りなしにチューインガムを噛んでいるのを発見して不思議な感じがしたのであった。
二十年前に大西洋を渡ってニューヨークへ着きホボケンの税関の検閲を受けたときに、自分のカバンを底の底までひっくり返した税関吏が、やはりこのチューインガムを噛んでいた。これが自分のチューインガムというものに出会った最初の機会であった。勿論その時はチューインガムという名前も知らず、この税関吏が何故に、何のために、何物をニチャニチャ噛んでいるかも少しも分らなかった。しかし、ともかくもこの最初のチューインガムの第一印象が自分にとってかなりに悪いものであったことだけはたしかである。
ヨーロッパ中の色々な国をあるき廻ったが、税関の検査はほとんど形式だけのものであった。ロシアは八かましいと聞いていたから、自ら進んでスートケースの内容を展開しようとしたら税関吏の老人はニコニコしながら手真似で、そうしなくてもいいと制するのであった。尤もその前に一枚のルーブリの形をした信用状が彼のかくしに這入っていたのであったと記憶する。ドーヴァへ渡ったときは「エネシング、トゥ、デクレアー」と聞かれ「ノー」と答えた、ただそれだけであった。パリのガール・デュ・ノールでは誰だか知らない人が書式へいい加減のことを書いてくれてそれで万事が滞りなくすんだのであった。到る処の青山に春風が吹いていた。
アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず瞼を引っくら返されてトラフォームの検査を受けた。そうして金を千ドル以上持っているかを聞かれた。そうして上陸早々ホボケンの税関でこのチューインガムの税関吏のためにカバンを底の底まで真に言葉通り徹底的に引っくり返されたのであった。これが、ついちょっと前に港頭に聳ゆる有名な「自由の神像」を拝して来た直後のことなのである。
カバンは夏目先生からの借りものであった。先生が洋行の際に持って行って帰った記念品で、上面にケー・ナツメと書いてあるのを、新調のズックのカヴァーで包み隠したいかものであった。その中にぎっしり色々の品物をつめ込んであった。細心の工夫によってやっとうまく詰め合わせたものを引っくら返されたのであるから、再び詰めるのがなかなか大変であった。これが自分の室内ならとにかく、税関の広い土間の真中で衆人環視のうちにやるのであるからシャツ一つになる訳にも行かない。実際に大汗をかいて長い時間を費やした後に、やっと無理やりに詰め込む事が出来たのであった。日本への土産にドイツやイギリスで買って来た…