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節操
みさを
作品ID43272
著者国木田 独歩
文字遣い新字旧仮名
底本 「明治の文学 第22巻 国木田独歩」 筑摩書房
2001(平成13)年1月15日
初出「太陽」1907(明治40)年9月
入力者iritamago
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-08-16 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

『房、奥様の出る時何とか言つたかい。』と佐山銀之助は茶の間に入ると直ぐ訊た。
『今日は講習会から後藤様へ一寸廻るから少し遅くなると被仰いました。』
『飯を食せろ!』と銀之助は忌々しさうに言つて、白布の覆けてある長方形の食卓の前にドツカと坐はつた。
 女中の房は手早く燗瓶を銅壺に入れ、食卓の布を除つた。そして更に卓上の食品を彼所此処と置き直して心配さうに主人の様子をうかがつた。
 銀之助は外套も脱がないで両臂を食卓に突いたまゝ眼を閉て居る。
『お衣服をお着更になつてから召上つたら如何で御座います。』と房は主人の窮屈さうな様子を見て、恐る/\言つた。御気慊を取る積でもあつた。何故主人が不気慊であるかも略知つて居るので。
『面倒臭い此儘で食ふ、お燗は最早可いだらう。』
 房は燗瓶を揚て直ぐ酌をした。銀之助は会社から帰りに何処かで飲んで来たと見え、此時既にやゝ酔て居たのである。酔へば蒼白くなる顔は益々蒼白く秀でた眉を寄せて口を一文字に結んだのを見ると房は可恐と思つた。
 二三杯ぐい/\飲んでホツと嘆息をしたが、銀之助は如何考がへて見ても忌々しくつて堪らない。今日は平時より遅く故意と七時過ぎに帰宅つて見たが矢張予想通り妻の元子は帰つて居ない。これなら下宿屋に居るも同じことだと思ふ位なら未だ辛棒も出来るが銀之助の腹の底には或物がある。
『何時頃に帰ると言つた。』
『何とも被仰いませんでした。』と房は言悪さうに答へる。
 後藤へ廻はるなら廻はると朝自分が出る前にいくらでも言ふ時があるじやアないかと思ふと、銀之助は思はず
『人を馬鹿にして居やアがる。』と唸るやうに言つた。そして酒ばかりぐい/\呑むので、房は
『旦那様何か召上がりませんか、』と如何かして気慊を取る積りで優しく言つた。
『見ろ、何が食へる。薄ら寒い秋の末に熱い汁が一杯吸へないなんて情ないことがあるものか。下宿屋だつて汁ぐらゐ吸はせる。』
 銀之助の不平は最早二月前からのことである。そして平時も此不平を明白に口へ出して言ふ時は『下宿屋だつて』を持出す。決して腹の底の或物は出さない。
 房は『下宿屋』が出たので沈黙て了つた。銀之助は急に起立がつて。
『出て来る。』
『最早直き奥様がお帰宅りになりませう。』と房は驚いて止めるやうに言つた。
『奥様の帰宅のを待たないでも可いじやアないか。』
 銀之助はむちやくちや腹で酒ばかし呑んで斯うやつて居るのが、女房の帰へるのを待つて居るやうな気がしたので急に外に飛び出したくなつたのである。
『外で何を勝手な真似をして居るか解りもしない女房のお帰宅を謹んでお待申す亭主じやアないぞ』といふのが銀之助の腹である。
『それはさうで御座いますが、最早直きお帰りになりませうから。』と房は飽くまで止めやうとした。
『帰つたつて可いじやアないか。乃公は出るから』と言ひ放つて、何か思ひ着いたと見え…

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