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海から帰る日
うみからかえるひ |
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作品ID | 43274 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「校定 新美南吉全集第二巻」 大日本図書 1980(昭和55)年6月30日 |
初出 | 「柊陵 第一二号」1931(昭和6)年3月 |
入力者 | 高松理恵美 |
校正者 | 川向直樹 |
公開 / 更新 | 2004-11-11 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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1
五年間に通過して來た道、それは今考へたつてわからない。たゞわかるものは今の心だ。五年の最後に到達した心だ。人の心ではない。自分の心だ。
2
雲はビルデイングになつてくれない。風鈴草はいくら振つても鳴つてくれない。木馬は乘つたつて走らない。
3
私の生活は私の生活。私の心は私の心。あなたの生活もあなたの心もあなたののだ。いかに暴逆なネロでも、私の生活を窺ふ事は出來ない。私の生活は矢張り私の生活。
4
初夏のうらゝかな日の午後、せんだんの枝を見てゐると、私は存在してゐるだらうかと思つた。
そしてせんだんの實がつぶら/\となる頃に、私は一つの木の實を拾つた。
――存在しないと私が思つた時、私は存在しないのだ。KもMも存在してゐないと思つた時、私に於てKもMも存在してゐないのだ。牛が人間より頭がいゝと思つた時、牛は人間より非常に頭がいゝ。
5
[#ここから横組み]1+2=3 A=B ナルトキ A+C=B+C 2>1[#ここで横組み終わり]
私達が數學の問題を解く時、若し上のやうな公理が存しなかつたら、問題がとけるだらうか。私達はいつも無意識の裡にそれ等を眞として數學のプロブレムを取扱つて來た。が若し一度 [#ここから横組み]1+2=3 2>1[#ここで横組み終わり] なる事に疑をもつたらどんな簡單な問題も解く事が出來ない。[#ここから横組み]2>1[#ここで横組み終わり] を眞としてかゝればこそどんな複雜なものも解けるのだ。では、[#ここから横組み]1+2=3 2>1[#ここで横組み終わり] とは何か。私達はこれを「信仰」と云ふ詞に解釋しよう。一點の疑もいだかない信仰と云はう。[#ここから横組み]1+2=3[#ここで横組み終わり] が數學の問題に解決を與へる樣に、信仰は人生の問題に解決を與へるのだ。
6
去られたミノベ先生が、こんな事を云はれた事があつた。――科學の源は神樣である。例へば、人類の原始へ科學が溯つてゆくとき、どうしても神樣がなければ、人類の最初のものが生じない事になつて、科學の大きな建物は土臺を失つてしまふ。――私達が神樣の作られたものならば、私達の周圍のすべてのものも神樣の作られたものである。だから私達の周圍にはむだなものは一つもありません。偶然に空から落ちて來た隕石みたいなものは一つもありません。
7
僕の父は鰡が生長して膃肭臍になると信じてゐる。このいなが食卓にのぼる度に云ふ。僕がそんな事はない。魚が獸になるなんて事はないと説明する。しかし父は肯んじない。「學問上ではさうかも知らないが、いなは確かに膃肭臍になる。」さう…