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無常の風
むじょうのかぜ
作品ID43293
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆37 風」 作品社
1985(昭和60)年11月25日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-06-18 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 幼い頃、「無常の風が吹いて来ると人が死ぬ」と母は云つた。それから私は風が吹く度に無常の風ではないかと恐れ出した。私の家からは葬式が長い間出なかつた。それに、近頃になつて無常の風が私の家の中を吹き始めた。先づ、父が吹かれて死んだ。すると、母が死んだ。私は字が読める頃になると「無常」の風とは「無情」の風にちがひないと思ひ出した。所が「無情」は「無常」だと分ると、無常とは梵語で輪廻の意味だと云ふことも知り始めた。すればいづれ仏教の迷信的な説話にすぎないと高を括つて納まり出したのもその頃だ。その平安な期間が十年も続いて来た。もう私は無常の風が梵語であらうがなからうが全く恐くはなくなつてゐた。すると、父が急に骨になつた。それから私は母を引きとつて郊外に住まつてゐた。母は隣家の主婦と垣根越しに新しい友情を結び出した。暇さへあれば彼女は額に手をあてて樹の間から故郷の方を眺めてゐた。ある日、母は「アツ」と云つたまま死んでしまつた。一ヶ月たつた。隣家の主婦はもう垣根の傍に立たなくなつた。すると、彼女の家の人が来て、「母は今朝、アツと云ふと鍋を下げたまま死にました。」と云つた。全く私の母と隣家の母とは同じ死に様をしたのである。それから私はまた無常の風が気になり出した。確かにある。無常の風に吹きつけられると人の血管が破れるのにちがひないと思つた。私は中学時代から地貌と云ふことに興味を持つてゐた。私は旅行をするといつもその土地の岩質に眼をつけた。河原を歩いても砂礫の質の相違によつて河の支流の拡がりを感じるのが面白かつた。しかし今は地貌の隆起に心がひかれる。隆起の相違によつて気流に変化があるのは当然だからである。此の気流と生活と云ふことは余程親密な相関性を持つてゐる。殊に人間の運命とは特にいちじるしい関係があると私は思ふやうになつて来た。人間の意志は気流の為に屈折する。意志は直線形に進行する性情があるが、途中で方向を変化さすのは気流の力が多大である。この法則は私の独断だとは思はない。アメリカの或る地方では東風が吹くと殺人犯が激増するといふ。フエリオの犯罪学には殺人者が殺人をする際、気流の温度の相違によつて忽ち狂人に変化し、殺人が不可能となつて逃亡する実例を上げてある。私の家でも窓の相違で部屋の空気の中に一定の通路が生じ、通路を外れた箇所で碁を打つと後が長く続かずに直ぐ頭が疲れて来る。だが通路の中で碁を打つと客観性が無くなつて喧嘩碁ばかり打ち始める。その代りに頭がいつまでも続いて行く。家相学では家の東南に桃の木があると淫風が吹くと書いてあるが、淫風は風の吹く所には起らない風である。風の吹きまくる所で性慾は起りはしない。それはともかくとして無常の風は日本の地貌ではどのあたりから吹いて来る風かと考へると、もうここからは独断にならざるを得なくなる。とにかく乾燥した風だ。乾燥した風は窒素の加…

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