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九月十月十一月
くがつじゅうがつじゅういちがつ
作品ID43311
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集11」 筑摩書房
1999(平成11)年3月25日
初出「國民新聞 第16898号~第16900号」1938(昭和13)年10月9日~11日
入力者向井樹里
校正者小林繁雄
公開 / 更新2005-02-05 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     (上) 御坂で苦慮のこと

 甲州御坂峠の頂上に在る茶店の二階を借りて、長篇小説すこしづつ書きすすめて、九月、十月、十一月、三つきめに、やつと、茶店のをばさん、娘さん、と世間話こだはらず語り合へるくらゐに、馴れた。宿に著いて、すぐ女中さんたちに輕い冗談言へるやうな、器用な男ではないのである。それに私はこれまで滅茶な男のやうに言はれてゐるし、人と同じ樣に立小便しても、ああ、やつぱりあいつは無禮だ、とたちまち特別に指彈を受けるであらうから、旅に出ても、人一倍、自分の擧動に注意しなければ、いけない。

 私は、おとなしく毎日、机に向つてゐた。をばさんも、娘さんも、はじめのうちは、私の音無しさに、かへつて奇怪を感じた樣子で、あのお客さんは女みたいだ、と蔭口きいて、私は、それをちらと聞いて、ああ、あんまり音無しくしてもいけないのか、とくやしく思つた。それから努めて、口をきくことにした。晩にお膳を持つて來る娘さんにも、何か一こと話しかけたく苦慮するのだが、どうも輕くふつと出ない。口をひらけば、何か人生問題を、演説口調で大聲叱咤しさうな氣がして、どうも何氣ない話は、できぬ。よつぽど氣負つた男である。たうとう或る晩、お膳を持つて部屋へはひつて來る娘さんを見るなり噴き出した。自身の苦慮が、毛むくじやらの大男の、やさしい聲を出さうとしての懸命の苦慮が、をかしかつたからである。娘さんは、顏を赤くした。

 私は、氣の毒に思ひ、いいえ、あなたを笑つたのぢやないんだ。僕は、あんまりもそもそしてゐて、かへつてあなたたちに氣味わるがられてゐやしないかと、心配して、毎晩、あなたがお膳を持つて來て呉れるときだけでも、何か輕い世間話しようと努めて、いろいろ考へるのだが、どうも、考へれば考へるほど話すことがなくなつて、自分ながら呆れて、笑つてしまつたのです、と口ごもりながら辯解した。娘さんは、すると、落ちついて私の傍に坐つて、あたしも何かお話しようと思ふのですが、お客さんがあんまり默つてゐるので、つい、あたしも考へてしまつて、何も言へなくなります。考へると話すことなくなつてしまふものですね、と答へた。私は微笑した。それきり話が、また無くなつた。こまつたね、話がないんだ、と言つて笑ふと、娘さんは、私の窮屈がつてゐるのを察して、男は無口なはうがいい、と言ひ置いてさつさと部屋から出て行つて呉れた。

 だんだん茶店の人たちも、あのお客は、ただ口が重いだけで、別段に惡だくみのある者でないといふことが判つた樣子で、お客さんのお嫁さんになるひと仕合せですね、世話が燒けなくて、とをばさんに冗談言はれて、私は苦笑して、やつと打ち解けて來たころには、はや十一月、峠の寒氣、堪へがたくなつた。

     (中) 御坂退却のこと

 そろそろ私は、なまけはじめた。どうしても三百枚ぐらゐの長編にしたいのである…

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