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作品ID | 43431 |
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著者 | 蘭 郁二郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像」 ちくま文庫、筑摩書房 2003(平成15)年6月10日 |
初出 | 「自由律」1932(昭和7)年8月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2006-12-20 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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チェッ、と野村は舌打をすることがよくあった。彼は遠い昔の恥かしかった事や、口惜しかったことを、フト、なんの連絡もなしに偲い出しては、チェッと舌打するのである。
(あの時、俺はナゼ気がつかなかったんか、も少し俺に決断があったら……)
彼はよくそう思うのであった。けれど夢の中で饒舌であるように、現実では饒舌ではなかった。女の人に対しても口では下手なので、手紙をよく書いた。けれど矢っ張り妙な恥かしさから、彼の書いた手紙には、裏の裏にやっと遣る瀬なさを密めたが、忙しい世の中では表てだけ読んで、ぽんと丸められて仕舞った。
又女の人と一緒に歩いても、前の日に一生懸命考えた華やかな会話は毛程も使われなかった。そして、彼はただ頷くだけの自分を発見して淋しかった。然しその時は、ただ一緒に歩くだけで充分幸福であるのだが、あとで独りになると、チェッと舌打するのである。
小学校三年の時、一級上の女生徒と、なぜか一緒に遊びたかったけれど、言い出す元気もなく、その子の家の『小田』と書かれた表札を何度も読みながら、[#「、」は底本では「、、」]わざと傍目も振らず行ったり来たりして、疲れて家に帰った――そんな遠い遠い昔の事を不図偲い出して、又チェッと舌打するのである。
……といって、野村は、爪を截りながら、私の顔を覗きこんだ。私は一寸、いやあな気持がして、
『誰でもさ……』
とタバコの煙りと一緒に吐出した。