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植物人間
しょくぶつにんげん
作品ID43432
著者蘭 郁二郎
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像」 ちくま文庫、筑摩書房
2003(平成15)年6月10日
初出「オール読物」1940(昭和15)年11月号
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2006-12-20 / 2014-09-18
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 鬱蒼と膨れあがって見える雑木の森が、左右から迫っている崖に地肌も見えぬばかり覆いかぶさっていた。なんとなく空気までもが、しっとりとした重みを持っているようにさえ思われる。いかにも南国らしい眩しく輝く太陽も、幾重にも繁った葉や枝や幹に遮られて川島の足許に落ちて来るまでにはすっかり弱められていた。
 川島は、両肩に喰い込んで来るリュックサックを、時々ゆすり上げるようにしながら、舌打ちをまぜて歩いていた。どうやら道を間違えてしまったらしいのだ。
 南紀の徒歩旅行を思い立って田辺町から会津川を遡り、奇岩怪峰で有名な奇絶峡を見、あれから山を越して清姫の遺跡をたずねたまではよかったのだけれど、それから熊野川上流の九里峡にまで出る道のりを、自動車道路に沿って行くというのではなんとなく平々凡々すぎるように思われて、不図道を右に折れてみたのが、どうやら失敗の原因らしかった。
 行くにつれて、何時しか小径は木立の間に消え失せ、地肌という地肌は、降りつもった朽葉にすっかり覆われてしまっていて、未だかつて人類などというものが踏んだこともないように、ふかふかと足を吸い込んでしまう始末だった。
 しかし川島は、その実あまり弱ってもいなかった。少々ぐらいの道の迷いやそれについての苦労ならば、却って後までもハッキリした思い出になってくれるものである。バスで素通りしたところよりも、靴の底が口をあけてしまって藁で縛り乍ら引ずって歩いたところの方が、寧ろあとでは愉しい道なのだ。殊に暦の上の秋は来ても、この南国紀伊の徒歩旅行では、たとえ道に迷わなくとも野宿の一晩ぐらいはするつもりでいたのだ。リュックサックにも、その位の用意はしてある。
 だから川島は、いくら道に迷っても、自分自身を遭難者だとは思っていなかった。舌打ちしながらも、何処か心の隅では
(到頭迷ってしまったぞ――)
 といったような、期待めいた感じすら持っていたのだった。
 あたりは、防音室の中にいるように、物静かだった。たまに立止って、どちらへ進もうかと木立の繁みのなかを見廻すのだが、そんな時でも稀に名も知らぬ小鳥が奇妙な喘き声をするのを耳にとらえるくらいのもので、蝉の声すらもまったく聴えなかった。あたりに鬱蒼と立罩める松、杉、櫟、桜、そのほか様々な木々は、それぞれに思いのままに幹を伸ばし、枝を張り、葉をつけて空を覆っていた。その逞しさは、尠くとも都会の街路樹などとは比べものにならぬ水々しい樹肌を持ってい、而も思い思いの木の体臭を振撒いていた。
 だが、川島のこの舌打ちの出る愉しい遭難は、二時間たらずで終りが見えたように思われた。
 というのは、相当に急な崖を下りはじめると、木の間もれに、向うからも崖が迫っているのが見え、そして、その下の方に光った水が見えはじめたからである。若しそれが渓流ならば、それに従って下って行…

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