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鉄路
てつろ |
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作品ID | 43435 |
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著者 | 蘭 郁二郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像」 ちくま文庫、筑摩書房 2003(平成15)年6月10日 |
初出 | 「秋田魁新報夕刊」1934(昭和9)年1月13、14、16~18日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2006-12-20 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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一
下り一〇五列車は、黒く澱んだ夜の空気を引裂き、眠った風景を地軸から揺り動かして、驀進して行った。
『いやな晩じゃねェか……』
(変ったことでも起らなければいいが)
というのを口の中で噛潰した、機関手の源吉は、誰にいうともなく、あたりを見廻した。
『うん……』
助手の久吉も、懶気に、さっきから、ひくひくと動く気圧計の、油じみた硝子管を見詰めながら、咽喉を鳴らした。
夜汽車は、単調な響に乗って、滑っている。
源吉は、もう今の呟きを忘れたように、右手でブレーキバルブを握ったまま、半身を乗出すように虚黒な前方を、注視していた。
時々、ヘッドライトに照された羽虫の群が、窓外に金粉のように散るほか、何んの変った様子もなかった。
列車は、せり出すように前進して行った。これは、下り坂にかかった証拠だ。
源吉は、少しずつブレーキを廻すと、眼を二三度ぱちぱちさせ、改めて、前方に注意を払った。
行く手には、岬のように出張った山の鼻が、真黒い衝立となって立ち閉がり、その仰向いて望む凸凹な山の脊には、たった一つ、褪朱色の火星が、チカチカと引ッ掛っていた。
レールは、ここで、この邪魔者のために鋭い弧を描いて、カーヴしていた。
(下り坂と急カーヴ)
源吉の右手はカマの焔照りで熱っぽいブレーキを、忙しく廻し始めた。
今まで、速射砲のように、躰に響いていた、レール接目の遊隙の音も、次第に間伸びがして来た。
と同時に、躰は、激しく横に引っ張られるのを感じた。
源吉は、尚も少しずつ、スピードを落しながら、ヘッドライトのひらひらと落ちるレールを睨んだ。蒼白い七十五ポンドレールの脊は弓のように曲っていた。山の出鼻を、廻り切って仕舞うまで前方は、見透しが、利かなかった。
何処かで、ボデーが、ギーッと軋んだ。
『アッ! 畜生ッ!』
(仕舞った!)という感じと、鋭い怒声と、力一杯ブレーキを掛たのは、源吉が、行く手の闇の中に黒く蠢くものを、見つけたのと、同時だった。
だが、十輛の客車を牽引して、相当のスピードを持った、その上、下り坂にある列車は、そう、ぴたんと止まるわけはなかった。
ゴクン、と不味い唾を飲んだ瞬間、その黒いものが、源吉の足の下あたりに触れ、妙に湿り気を含んだ、何んともいえない異様な音……その中には、小楊枝を折るような、気味の悪い音も確にあった。
(轢いた。到頭、轢いちまった――)
源吉は、胃の中のものが、咽喉元にこみ上って、クラクラッと眩暈を感ずると、周囲が、急に黒いもやもやしたものに閉され、後頭部に、いきなり、叩き前倒されたような、激痛を受けた。
汽車は、物凄い軋みと一緒に、尚も四五間滑って、ガリンと止まった。源吉は、まだ眼をつぶって、一生懸命、ブレーキにしがみついていたが、しんと、取残されたような山の中で、汽車が止まって仕舞ったと同…