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支那近世の国粋主義
しなきんせいのこくすいしゅぎ
作品ID43453
著者狩野 直喜
文字遣い旧字旧仮名
底本 「支那學文藪」 みすず書房
1973(昭和48)年4月2日
初出「藝文 第貳年第拾號」1911(明治44)年7月、「藝文 第參年第壹號」1912(明治45)年1月
入力者はまなかひとし
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-10-15 / 2014-09-18
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 支那で國粹保存などいふ事を唱へ出したのは極めて近年のことで、以前には全く無かつたのである。一體かゝる思想は、他國の種類を殊にする文明が俄に侵入し來つて、自國固有の文明が其爲めに破壞されやうとし、或は破壞までは行かずとも、他國の文明の爲め自國の文明が、幾分か光輝を失ひ懸るといふやうな場合に起るものである。
 然るに支那は數千年の昔から自國固有の文明を持續し來つて、其根柢に變化を生ずるまで、他國文明の影響をうけた事はないから、國粹保存などいふ思想も、また從來なかつたのである。其證據には國粹といふ熟語は、今でこそ上諭奏摺或は通儒名士の文中に見えて、國内の通用語となつて居るけれども、經典は勿論近人の集までこれを使用したものはない。即ち光緒三十三年(我明治四十年)六月に當時湖廣總督であつた張之洞が存古學堂を立んことを請ふの疏に

竊惟今日環球萬國學堂。最重二國文一門一。國文者本國之文字語言。歴古相傳之書籍也。即間有下時勢變遷不二盡適用一者上。亦必存而傳レ之。斷不三肯聽二其[#挿絵]滅一。至下本國最爲二精美擅長一之學術技能禮教風俗上。則尤爲二寶愛護持一。名曰二國粹一。專以二保存一爲レ主。

とあるが、是を見ても國粹といふ熟語が、元來我國に來た支那留學生などが、本國に輸入したもので、支那にはこれに適當する言葉がないから、有名な新名詞嫌ひの張之洞さへ之を用ゐた事が分る。又近來の支那人に國寶などいふ語を用ゐるものがある。國寶の二字は古く經典に見え、『親レ仁善レ鄰國之寶也。』『口能言レ之身能行レ之國寶也。』など其例少なくない。又其中には今日我國に用ゐる語の意味と同じきものもあるが、矢張り是の語も我國より輸入したものに相違ない。
 さて支那人が國粹保存など唱ふるに至つたのは、近時西洋の文明が盛んに輸入され又歡迎さるゝやうになつてからの事である。勿論支那に西洋の學問技藝の傳つた起源をいへば決して新しい事でない。かの明萬暦より清雍正時代にかけて、利瑪竇(Matteo Ricci)龍華民(Nicolas Longobardi)湯若望(Adam Schaal)南懷仁(Ferdinand Verbiest)のゼシュイット僧等が支那に來て、宗門のことは勿論、天文暦算輿地機器の方面に關し、多くの著述をなし、西洋の文明を輸入した事は顯著な事實で、彼等の著述せし書目を見た丈でも、其熱心なのに驚くのである。又支那人の方でも、彼等が天文暦算に秀でた事を認め、清朝の官制にも欽天監監正即ち天文臺長ともいふべきものは、滿一人西洋一人を以て之れに充つることに規定され、殊に康熙帝の如きは西洋の學術に注意し拉丁文字迄に通じて居たといふ話である。併し當時の支那人が、西洋の文明に對する考へは、唯彼等が天文暦算等の技藝に秀でゝ居るから、其長處だけを利用するといふ位のことで、勿論西洋の文明が自…

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