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仏法僧鳥
ぶっぽうそう
作品ID43502
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第八巻」 岩波書店
1981(昭和56)年5月27日
初出「時事新報」1928(昭和3)年1月4日、5日
入力者kamille
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-01-30 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大正十四年八月四日の朝奈良の宿を立つて紀伊の国高野山に向つた。吉野川を渡り、それから乗合自動車に乗つたころは、これまでの疲れが幾らか休まるやうな気持でもあつた。これまでの疲れといふのは、比叡山上で連日『歌』の修行をし、心身へとへとになつたのをいふのである。
 乗合自動車を乗り棄てると、O先生と私とは駕籠に乗り、T君とM君とは徒歩でのぼつた。さうして、途中で驟雨が沛然として降つて来たとき駕籠夫は慌てて駕籠に合羽をかけたりした。駕籠夫は長い間の習練で、無理をするといふやうなことがないので、駕籠はいつも徒歩の人に追越された。徒歩の人々は何か山のことなどを話しながら上つて行くのが聞こえる。それをば合羽かむつた駕籠の中に聞いてゐては、時たま眠くなつたりするのも何だかゆとりが有つていい。
 駕籠は途中の茶屋で休んだ時、O先生も私も駕籠からおりて、そこで茶を飲みながら景色を見て居た。茶屋は断崖に迫つて建つてゐるので、深い谿間と、その谿間を越えて向うの山巒を一目に見ることが出来る。谿間は暗緑の森で埋まり、それがむくむくと盛上つてゐるやうに見える。白雲が忙しさうに其間を去来して一種無常の観相をば附加へる。しばらく景色を見てゐた皆は、高野山の好い山であるといふことに直ぐ気がついた。徒歩の二人はもう元気づいて、駕籠の立つのを待たずにのぼつて行つた。
 併し、女人堂を過ぎて平地になつた時には、そこに平凡な田舎村が現出せられた。駕籠のおろされた宿坊は、避暑地の下宿屋のやうであつた。
 小売店で、高野山一覧を買ひ、直接に鯖を焼くにほひを嗅ぎながら、裏通にまはつて、山下といふ小料理店にも這入つて見た。お雪といふ女中さんが先づ来て、それから入りかはり立ちかはり愛想をいひに女中さんが来た。
『院化はんも時たま来なはります』
 かういふ言葉をそこそこにO先生をはじめ山下を出た。私等はこの日霊宝館を訪ねる予定であつたが、まだ雨が止まぬので此処に一休するつもりで来て、雨の霽れるのを待たずに此処を出たのである。併し女中さんが二人で私等を霊宝館まで送つて来た。霊宝館の廊下から振返ると、二人の女中さんは前の小売店の所で何か話込んでゐるのが見えた。霊宝館では、絵だの木像だのいろいろの物を観たが絵には模写もあり本物もあつた。薄暗いところで仏像などを観てゐると眠くて眠くて堪らないこともあつた。これは先刻麦酒を飲んだためである。
 それから私等は、杉の樹立の下の諸大名の墓所を通つて奥の院の方までまゐつた。案内の小童は極く無造作に大小高下の墳塋をば説明して呉れた。
『左手向う木の根一本は泉州岸和田岡部美濃守』
『この右手の三本は多田満仲公です。当山石碑の立はじまり』
『左手うへの鳥居三本は出羽国米沢上杉公。その上手に見えてあるのは当山の蛇柳です』
『右手鳥居なかの一本は奥州仙台伊達政宗公。赤いおたまやは井伊かも…

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