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遍路
へんろ |
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作品ID | 43503 |
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著者 | 斎藤 茂吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「斎藤茂吉選集 第八巻」 岩波書店 1981(昭和56)年5月27日 |
初出 | 「時事新報」1928(昭和3)年1月15日~17日 |
入力者 | kamille |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-01-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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那智には勝浦から馬車に乗つて行つた。昇り口のところに著いたときに豪雨が降つて来たので、そこでしばらく休み、すつかり雨装束に準備して滝の方へ上つて行つた。滝は華厳よりも規模は小さいが、思つたよりも好かつた。石畳の道をのぼつて行くと僕は息切れがした。
さてこれから船見峠、大雲取を越えて小口の宿まで行かうとするのであるが、僕に行けるかどうかといふ懸念があるくらゐであつた。那智権現に参拝し、今度の行程について祈願をした。そこを出て来て、小さい寺の庫裡口のやうなところに、『魚商人門内通行禁』と書いてあり、その側に、『うをうる人とほりぬけならん』と註してあつた。
滝見屋といふところで、腹をこしらへ、弁当を用意し、先達を雇つていよいよ出発したが、この山越は僕には非常に難儀なものであつた。いにしへの『熊野道』であるから、石が敷いてあるが、今は全く荒廃して雑草が道を埋めてしまつてゐる。T君は平家の盛な時の事を話し、清盛が熊野路からすぐ引返したことなども話して呉れた。僕は一足毎に汗を道におとした。それでも、山をのぼりつめて、くだりにならうといふところに腰をおろして弁当を食ひはじめた。道に溢れて流れてゐる水に口づけて飲んだり、梅干の種を向うの笹藪に投げたりして、出来るだけ長く休む方が楽であつた。
そこに一人の遍路が通りかかる。遍路は今日小口の宿を立つて那智へ越えるのであるが、今はかういふ山道を越える者などは殆ど絶えて、僕等のこの旅行なども寧ろ酔興におもへるのに、遍路は実際ただひとりしてかういふ道を歩くのであつた。遍路をそこに呼止め、いろいろ話してゐると、この年老いた遍路は信濃の国諏訪郡のものであつた。T君はあの辺の地理に精しいので、直ぐ遍路の村を知ることが出来た。併しこの遍路は一生かうして諸国を遍歴してどこの国で果てるか分からぬといふのではなかつた。国には妻もあり子もあつたが、信心のためにかうして他国の山中をも歩き、今日は那智を参拝して、追々帰国しようといふのであるから前途はさう艱難ではなかつた。T君は朝鮮飴一切れを出して遍路にやつた。遍路はそれを押しいただき、それを食べるかと思ふと、胸に懸けてある袋の中に丁寧にしまつた。
僕などは、この遍路からたいへん勇気づけられたと謂つていい、さうして遂に大雲取も越えて小口の宿に著いたのであつた。実際日本は末世になつても、かういふ種類の人間も居るのである。遍路は無論、罪を犯して逃げまはつてゐる者などではなかつた。遍路のはいてゐる護謨底の足袋を褒めると『どうしまして、これは草鞋よりか倍も草臥れる。ただ草鞋では金が要つて敵ひましねえから』といふのであつた。これは大正十四年八月七日のことである。
一夜明けて、僕等は小口の宿を立つて小雲取の峰越をし、熊野本宮に出ようといふのである。そこでまた先達を新規に雇つた。川を渡つたりしてそろそろ…