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移民学園
いみんがくえん
作品ID43511
著者清水 紫琴
文字遣い新字旧仮名
底本 「紫琴全集 全一巻」 草土文化
1983(昭和58)年5月10日
初出「文芸倶楽部」1899(明治32)年8月
入力者小林繁雄、門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-10-20 / 2014-09-18
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   上

 身は錦繍に包まれて、玉殿の奥深くといふ際にこそあらね。名宣らばさてはと、おほかたの人もうなづく、良人に侍り。朝夕爨が炊ぐ米、よしや一年を流し元に捨てたればとて、それ眼立つべき内証にもあらず。人は呼ばぬに来りて諂らひ、我は好まぬ夫人交際、それにも上坐を譲られて、今尾の奥様とぞ、囃し立てらるる。これがそも人生の不幸かや。
 春の花にも、秋の月にも、良人は我を棄てたまはず。上野に隅田に二人の影、相伴はむことこそは、世事に繁き御身の上の、御心にのみも任せたまはね。庭の桜の一片をも、我とならでは愛でたまはず。窓の月のさやけきにも、我在らずは背きたまふ。涙は我得てこれを拭はむ、笑みはそなたに頒かたむと、世に優しくも待遇させたまふ、これがそも人生の不幸かや。まして我が良人は、学識卓絶、経綸雄大、侠骨稜々の傑士にして、しかも温雅の君子なりと、名にのみ聞きて、よそにだも、敬慕せし君なりしを、ゆくりなき知遇により、迎えられて、妹よ背と、呼び呼ばれ参らする中とはなりし身なるをや。もしこれをしも不幸といはば、はた何をかは、人生の幸とはせむ。
 さあれ絶対無限てふものは、かの唯一の御神とぞいふなる、大精霊大動力を除きての外になき限り、いかでか不幸の伴はぬ幸福の幸の伴はぬ不幸てふものあるべきや。もし満足を、開悟の外に求めなば、人は天地を我が有とするも、未だもつて絶対の幸福とするには足らじ。一心ここに頓悟せば、身は三界に家なきも、またもつて幸とするには足る。悟れば幸も不幸もなき世に、悟らぬ内が人生の、おもしろ、うたての人の身や。
 我も数には漏れぬ身の、差別の外には出で難く、嬉し悲しは切なるを。なまじひなる幸福に、身を包めばぞ人知れぬ涙の淵には、沈むなる。羨ましきは世の中の、人の栄華を羨むほどの、無邪気なる人々よ。繿縷の袖に置く露の、そればかりが悲しき涙か。錦繍の上に散る玉は、よしや生命の水なるも、飾れるものにあやまたれ、何ぞと人の問はぬにも、心は千々に砕くるなる。砕けて墜ちて、末遂に、もとの雫の身とならば、憐れを人の訪ひもせめ、珠の輿にも乗れるよと、見ゆらむほどの今の身の、歎きをそもや誰にか語らむ。天は永久に高く、地は永久に低し、しかも天の誇りを聞かず、地の小言をしも聞かざるに。人ばかりは、束の間の、いふにも足らぬ差別を争ひ、何とて喧々囂々たる。浅ましとは知る身にも、さて断ち難き、恩愛恋慕の覊絆にぞ、かくても世には繋がるなると、朝な夕なの御歎きを、知らぬ世間の口々に。さりとては、御気随意なる奥様や、世に成上りものは、これでいやでござんする。嬉しさうな顔しては、お里が知れやうと思ふてか、どこまで行つても不足な顔、ああか、かうかと機嫌を取る、旦那も旦那、奥様が、憎らしいではござんせぬか。ほんにその事、私などは、年中世帯の魂胆ばかり、晴衣一枚着るではなし、芝居も桟敷で、人らしう…

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