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作品ID | 43525 |
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副題 | ―将棋いろいろ― ―しょうぎいろいろ― |
著者 | 南部 修太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「ホーム・ライフ」 大阪毎日新聞社 1935(昭和10)年12月1日 |
入力者 | 小林徹 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2008-12-07 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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=1=町内の好敵手
住み馴れてやがて三十年、今では僕も町内一二の古顏になつてしまつたが、麻布區新龍土町といふと、うしろに歩兵第三聯隊のモダアン兵營を控えた戸數六七十の一區劃だが、ロオマ法王使節館、土耳古公使館、佛蘭士大使館武官館以下西洋人の住宅が非常に多い外になかなか特色のある住人を持つてゐる。公爵、男爵、老政客、天文學博士、實業家など、藝苑では一時的に中村時藏や千葉早智子なども住んでゐたし、シロタやトドロヰッチ夫人のピアノ彈奏を立ち聽きした事もあるし、所謂見越の松風の淑女も幾人か住むといふやうな物靜かな屋敷町でもある。さういふ町内に僕の將棋の好敵手がゐる。改まつて紹介すれば、新美術院會員、國畫會總帥の梅原龍三郎畫伯その人だが、なアにお互に負けず嫌ひで相當意地つ張りでもある二人。將棋では何糞つと力み返つて遠慮なしに負かしたり負かされたりする事既に五六年にもならうか?
この夏もお互に旅先や何かで久しく顏を合せなかつた二人、さて新秋になると、向うは熱海で勉強して大に強くなつたと自信を持ち、僕は僕で名人决定戰の觀戰記を書き棋力に相當加ふるものありとうぬ惚れて、共に張り切つてゐるのだからたまらない。僕先づ出陣に及んで何と四勝一敗、すつかり得意になつてゐると、つい二三日前には口惜しさの腹癒やさんずと向うから來戰に及んで何と三敗一勝、物の見事に復讐されてしまつた。その度毎に明暗、悲喜こもごも至る二人の顏附たるやお察しに任せる次第だ。
「何だか長閑ね、平安朝みたい……」
と、いつだつたか僕の女房が言つた。
「何を?生意氣言ふな。」
と、僕早速呶鳴りはしたものの、口邊には微苦笑を抑へきれぬ始末。實は二人の對局振を如何にも評し得てゐるのだ。とにかくあんまり強くもなく、かと言つてまた格別恥かしいほど弱い譯でもなく、棋風も先づ正正堂堂として至極落ち着き拂つた方、正に兄たり難く弟たり難しの組合せだ。それが大概一局に一時間乃至一時間半、一二度は三時間餘にも及んだことがあるのだが、さう鋭くもなく敢へて奇手妙策も弄せず靜かに穩[#ルビの「おだや」は底本では「お゛や」]かにもみ合つてゐる光景たるやたしかに「櫻かざして」の感なくもない。
「町内にどうも早お似合ひの相手が見つかつたもんだなア……」
と、對局しながらフト變にをかしくなつて、そんな感慨を洩らした事もある。だが、無論お互に胸中密に「なアに己の方が……」と思つてゐる事は、それが將棋をたしなむ者の癖で御多分に洩れざる所。然し、三四年前に半年あまり一緒に萩原淳七段の高弟(?)となつて大いに切磋琢磨したのだが、二人とも一向棋力が進歩しない所まで似てゐるのだから、聊か好敵手過ぎる嫌ひもある。尤も、あれで若しどつちかが斷然強くでもなつたとしたら、恐らく進まぬ方は憤然町内を蹴つて去つたかも知れない。桑原、桑原!
=2=痛まし專門…