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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4353
副題01 序文/自序
01 じょぶん/じじょ
著者長谷川 時雨 / 三上 於菟吉
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2003-05-23 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

序文

 長谷川時雨は、生粋の江戸ッ子ということが出来なければ、生抜きの東京女だとは言えるであろう。彼女の明治初期の首都の中心日本橋油町に法律家を父として生れて、最も東京風な家庭教育の下に育って来た女だ。彼女は寺小屋風が多分に遺った小学校に学んだり、三味線、二絃琴の師匠にも其処で就いた。時雨は現在では、さまざまの思想と生活との推移から複雑な人になっているが、内心にはいつも過去の日本橋ッ子としての気魄が残映して、微妙にその感情を操作しているように見える。
 とにかく、この『旧聞日本橋』は、きわめて素直に、少女期以来彼女が見聞した、過ぎし日の現象に関する記録である。人文史的に見るも意義なしとせぬと思う。
昭和十年一月
三上於菟吉
[#改丁]

自序

 ここにまとめた『日本橋』は、『女人芸術』に載せた分だけで、その書きはじめには、こんなことが記してあります。
――事実談がはやるからの思いつきでもない。といって半自叙伝というものだとも思っていない。あまりに日本橋といえばいなせに、有福に、立派な伝統を語られている。が、ものには裏がある。私の知る日本橋区内住居者は――いわゆる江戸ッ児は、美化されて伝わったそんな小意気なものでもなければ、洗練された模範的都会人でもない。かなりみじめなプロレタリヤが多い。というよりも、ほろびゆく江戸の滓でそれがあったのかも知れない。私はただ忠実に、私の幼少な眼にうつった町の人を記して見るにすぎない。もとより、その生活の内部を知っているものではないし、面白くもなんともないかもしれないが、信実に生ていた一面で、決して作ったものではないというだけはいえる――
 打明けていえば、『女人芸術』の頁数の都合で、いつも締切りすぎに短時間で書き、二枚五枚と工場へはこび、しかも編輯の都合で伸縮自在のうきめにあったもので、そのために一層ありのままで文飾などありません。私の生れたうまや新道、または、小伝馬町、大伝馬町、馬喰町、鞍掛橋、旅籠町などは、旧江戸宿の伝馬駅送に関係がある名です。文中にもある馬込氏は、江戸宿の里長馬込勘解由の家柄で、徳川氏が江戸に来たとき、駄馬人夫を率いて迎えた名望家で、下平河の宝田村――現在の丸の内――から土地替に伝馬町へ移され名主となった由緒があるのです。大伝馬町の大丸の下男が、旅籠町となったのをかなしんで、町札をはがしたことも書きましたが、旅籠町とはずっと昔にも一度つけてあった町名で、旅籠とは、馬の食を盛る籠、馬飼の籠から、旅人の食物を入れる器となり、やがて旅人の食事まかないとなり、客舎となり、駅つぎの伝馬旅舎として縁のふかい名であり、うまや新道の名も、厩も、小伝馬町大牢の御用のようにばかり書きましたが、それも幼時の感じを申述べただけです。
 伝馬町大牢は明治八年まで在存し、牢屋の原の各寺院は、明治十五年ごろから出来たことを、文中に…

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