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怪しの者
あやしのもの
作品ID43566
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本伝奇名作全集4 剣侠受難・生死卍巴(他)」 番町書房
1970(昭和45)年2月25日
初出 「日本伝奇名作全集4 剣侠受難・生死卍巴(他)」番町書房、1970(昭和45)年2月25日
入力者阿和泉拓
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2004-12-21 / 2014-09-18
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 乞食の権七が物語った。

 尾張の国春日井郡、庄内川の岸の、草の中に寝ていたのは、正徳三年六月十日の、午後のことでありました。いくらか靄を含んでいて、白っぽく見えてはおりましたが、でもよく晴れた夏の空を、自分の遊歩場ででもあるかのように、鳶が舞っておりましたっけ。
 ふと人の気勢を感じたので、躰を蔽うている草の間から、わたしはそっちを眺めました。
 二十八、九歳の職人風の男が、いつのまにやって来たものか、わたしのいるところから数間はなれた岸に、佇んでいるではありませんか。(はてな?)とわたしは思いながら、その男の視線を辿って行きました。岸に近い水面を睨んでいました。そこでわたしも水面を見ました。
(成程、これじゃア誰だって、眼をつけるだろうよ)
 と、わたしは呟きましたっけ。この川(幅三十間といわれている庄内川)は、周囲にひろがってい、広漠とした耕地一帯をうるおす、灌漑用の川だったので、上流からは菜の葉や大根の葉や、藁屑などが流れて来ていましたが、どうでしょう、流れて来たそれらの葉や藁屑が、その男の立っている辺まで来ますと、緩く渦をまき、躊躇でもするように漂ったあげく、沈んでしまうではありませんか。(あれへ眼をつけるあの野郎こそ怪しい)
 と、私といたしましては、職人風の男へかえって不審を打ったのでございます。
(只者じゃアない、うろんな奴だ)
 私は考えに沈みながら、広い耕地を見やりました。野菜の名産地の尾張城下の郊外です、畑という畑には季節の野菜が、濃い緑、淡い緑、黄がかった緑などの氈を敷いておりましたっけ。人家などどこにも見えず、百姓家さえ近所にはありませんでした。いやたった一軒だけ、数町はなれた巽の方角に、お屋敷が立っておりましたっけ。それも因縁づきのお屋敷が。……尾張様の先々代継友卿が、お家督の絶えた徳川宗家を継いで、八代の将軍様におなりなさろうとしたところ、紀伊様によって邪魔をされて、その希望が水の泡と消え、紀伊様が代わって将軍家になられた。当代の吉宗卿で。……その憂欝からお心が荒み、継友様には再三家臣をお手討ちなされましたが、その中に、平塚刑部様という、御用人があり、生前に建てた庄内川近くの別墅へ、ひどく執着を持ち、お手討ちになってからも、その別墅へ夜な夜な姿を現わされる。――という因縁づきのお屋敷なので。
(流れ屑が自然に沈む淵があったり、化け物屋敷があったりして、この界隈は物騒だよ)と、私は呟いたことでした。

      二

(おや)と驚いて川添いの堤へ眼をやったのは、それから間もなくのことでした。野袴を穿き、編笠をかむった、立派なみなりのお侍様五人が、半僧半俗といったような、円めたお頭へ頭巾をいただかれ、羅織の被風をお羽織りになられた、気高いお方を守り、こなたへ歩いて来るからでした。
(これは大変なお方が来られた)…

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