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作品ID | 43579 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆91 時」 作品社 1990(平成2)年5月20日 |
入力者 | 大野晋 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2005-01-03 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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私は、今、時計といふものを持つて歩かない。時間を超越するほど結構な生活をしてゐる訳ではないが、時計を持つてゐなくつても、どうやら用事は足りるのである。そのかはりどこへ行つても、時間を知りたい時には、時計を持つてゐさうな人に、「いま何時?」と問ひかける。時間をきめて人を訪ねる時など、その家の近所へ辿りつくと、軒並みに薄暗い店のなかへ、それとなく素早い視線を投げて、柱時計のありかを一瞬間に突き止める修練は、いつの間にか積んだ。かういふ時、便利なやうで不便なのは時計屋の店である。なんとまぎらはしき針また針の方向!
それでも、生れてから時計を一度も持つたことがないわけではない。十三にして、おやぢからニッケル側を貰ひ、二十三にして、自分の金で銀側を買つた。それ以来、その銀側を持ち続けてゐた筈だが、いつ、どこで、どうしたのか――ああ、さうさう、これを忘れてゐる法はない。巴里の、ある裏通りの、安下宿の二階で、ある日、病気で寝てゐると、そこへ、瓦斯屋に化けた強盗が、悠々とはいつて来て、いきなり、何か、石ころを袋に填めたやうなもので、熱のあるこの頭を、ガンと擲りつけ、痛いなあと思つてゐるところを、「金、金」と云ひながら、その辺を捜しまはし、化粧台の上にのせてあつた、例の銀時計を剃刀と一緒に持つて行つてしまつたのである。
家主のお神さん、T夫人が、その後、私を彼女の物置に案内して、古い額などを見せた時、「こんなものが……」と云つて、埃の中からつまみ上げたのが、今、私の所有に属してゐる鉄側で、夫人のお父さんが、そのまたお父さんから譲り受けた品物であるといふだけでも、明かにロマンチック時代のあの懐しい面影を伝へてゐることがわからう。
この鉄側は、しばらく、一本の短針だけで、大体の時間を知らせてゐたが、今は、それすら動かなくなつてしまつた。末弟が時計屋に持つて行つたら、大変珍しがるので、そんなに値打がある代物かと思つて、値ぶみをさせてみたら、笑ひながら、値段のつかないほど珍しいものだと云つたさうである。只なら欲しいといふ意味だらう。
これからも、恐らく、時計を買ふことはないだらう。いま時計など持つて歩くと、始終捲くのを忘れたり、それならいいが、自分で時計を持つてゐるのをすら忘れて、やつぱり、人に「いま何時?」などと訊くに違ひない。さういふ場合、後から気がついて、またへまなことを、例へば、「どうもこの時計は遅れていかん」なんて、云ひ出すかもわからないではないか。
それに第一、自分の時計が、それほど信用できるかどうか。ドンが鳴ると、一斉に時計を出して見て、一人が、「おや、今日のドンは三十秒早い」なんていふのは、まだ愛嬌にもなるが、「君の時計合つてる?」と訊かれ、即座に「合つてる」と答へる男は、そんなに頼もしくないやうな気もするのである。まして、「いま何時」――「今かい、今は…