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時 処 人
とき ところ ひと
作品ID43594
副題――年頭雑感――
――ねんとうざっかん――
著者岸田 国士
文字遣い新字新仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「日本経済新聞」1954(昭和29)年1月1日
入力者門田裕志
校正者大野晋
公開 / 更新2005-01-01 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 芝居の脚本を書くのには、まず、標題のつぎに、その劇が行われる時と場所と登場人物とを、はつきり書きあげるのが定石である。
 私はいま、ここで脚本を書くつもりはないが、年々歳々、違つた場所で正月を迎えるのが例のようになつてしまつた私の年頭感は、まず、ああ今年は、こんなところで年をとることになつたか! である。
 いよいよ六十三回目の元日は、この小田原でということになると、第一回目の元日を東京四ツ谷で、両親と共に迎えて以来、よくもよくも生きたものかな! と思う。
 少年時代を東京と名古屋で、青年期を東京と九州で、二十台の終りから五年間をヨーロッパで過した関係で、いつの正月を、どこで、誰れと誰れとでしたかを、いちいち思い出すことは不可能だ。
 ただ、これが最後の元日だろうと思つたことは一度もなく、同じ元日は二度ないという事実を否定しようとしたこともない。
 ぼんやりとではあるが、小学生の頃の正月が一番胸のおどるような正月だつたことだけは記憶の底にある。
 おやじが近衛連隊に勤めていたから、一家の正月は、その正装のように、にぎやかなものだつた。
 おやじが馬に乗つて出掛けると、私は、学校の式へ友達を誘つて行く。
 家が今の信濃町の近所にあつて、学校から帰ると、津の守坂の横にある「乳屋の原」というのへ遊びにいつた。
 その原には、古池があつて、まわりに枯草が生い茂り、あぶなつかしいブランコが、子供の乗るのにまかせてあつた。
 乳牛が、たまに草を食つている。
 原つぱの隅に、破れた生垣を距ててボロ家が一軒、何をする家かはつきりは誰も知らない。ただ下手な三味線がそのへんから聞えて来た。
 ま新しい日の丸の旗が、門口に立ててある。この印象は、ちようどその頃、日清戦争が終つたのだということと関係がありそうだ。
 そうそう、そのブランコで怪我をした傷痕が、まだ私の額に残つている。その時、そばで紙風船をついていたおなじ年頃の少女が、いきなりついていた紙風船で私の額をおさえ、流れ出る多量の血を気にしながら、私の家まで送つてくれた。
 その少女のことを、私は「染物屋のチャーちやん」とだけしか覚えていない。

 元日が元日らしいためには、どんな条件が必要かといえば、門松・トソ・雑煮というような形式はさておき、私の経験によれば、まず何よりも、家族が多少改まつて勢ぞろいをするということである。
 家族の人数は多いほどよろしい。
 老人も子供もいるという風景が望ましい。それも、みな達者で、仲よくしているに越したことはない。
 そのうちの誰かが、遠方から馳せ参じたという事情があれば、これはもう、正月には持つて来いの景物である。
 そこで、今年の元日を最も元日らしく迎えたのは、言うまでもなく、ソ連や中共からの帰還者を交えた日本の何百かの家族だということになろう。
 私の両親は紀州生れであつたから…

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