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鷲の巣
わしのす
作品ID43615
著者ビョルンソン ビョルンステェルネ
翻訳者宮原 晃一郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「北歐近代短篇集」 白水社
1939(昭和14)年6月30日
入力者鈴木厚司
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-04-19 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ビョルンステェルネ・ビョルンソン Bj[#挿絵]rnstjerne Bj[#挿絵]rnson (1832-1910)。イプセンと並び稱せられるノールウェイの文豪。牧師の子と生れ、詩に、劇に、ジャーナリズムに又演説に、その一生は實にあらゆる方面に於ける活動の連續であつた。けれども、彼は一面ラヂカリストなると共に、他面、守舊的であつた。文學に於て又思想に於て、彼は牧歌的、道義的で、何處かに説教を藏してゐる。
『鷲の巣』はその短かさに反比例して、よく彼の文學者としての全貌をあらはしてゐる。
[#以上、宮原晃一郎による解説]
[#改ページ]

 高い懸崖に圍まれて、淋しく横はる小村はエンドレゴォルと稱ばれた。村が立つてゐる地面は平らで、肥沃であつた。その中を一筋の廣い川が山から流れ落ちて、貫き通つてゐた。此の川は村から遠くない、向ふの方に見えてゐる湖に注いでゐるのだつた。
 昔此の湖に一隻のボートに乘つて一人の者がやつて來た。其者こそは此の谷間に開墾を始めた最初の人間であつた。その名はエンドレであつた。現在の村の住民はその子孫である。
 二三の者は言つた――エンドレは人殺しをして此處へ逃げ込んだのだ。それだから村民の顏が陰慘に見えるのだと。他の者は反對して言ひ張つた――それは懸崖の負ふべき罪だ。ヨハネ祭(中夏)の頃でさへ、もう午後五時には日の光は谷の中にさして來ないのだからと。
 村の上の方に鷲の巣が一つ懸つてゐた。それは山の岩角についてゐた。鷲が卵をかへしにかゝると、誰でもこれを見ることができた。けれども、一人として其の巣にとゞいたものはなかつた。
 鷲は村の上を飛び翔つて、時には仔羊を、又時には仔山羊を襲つた。一度などは小さな子供をさらつて行つたこともあつた。だから鷲がその巣を岩角にかけてゐるうちは、安心がならなかつた。
 村人の間に、こんな話があつた。昔、その巣にとゞいて、滅茶苦茶にこはした二人の兄弟があつたさうだが、近年、それにとゞいた者は一人もないといふことだつた。
 村で人が二人寄ると、鷲の巣の話が出て、上を見あげるのだつた。
 近年、何時、鷲が戻つて來たか、何處を襲つて、損害を與へたか、最近では誰がそこへ登つて行かうと企てたか、などのことはちやんと分つてゐた。青年たちは子供の時分から、山や木に登る練習をつみ、いつかはあの鷲の巣にとゞいて、昔話の兄弟たちのやうに、巣を打ちこはせるやうにならうと、とりわけ角力をとつて身をきたへてゐるのであつた。
 此の話の頃、村一番の立派な青年でライフといふ者があつた。彼は村の始祖エンドレの子孫ではなくて、髮がちゞれ、眼が細く、巫山戲てばかりゐて、女が好きだつた。彼はもう子供の時分から、鷲の巣によぢ登つてみせるぞといひふらした。けれども年寄達は、彼がそんなことを聲高に言ふのは感心できないと言つた。
 これが彼をのぼせ上が…

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