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ルネ・クレール私見
ルネ・クレールしけん
作品ID43642
著者伊丹 万作
文字遣い新字新仮名
底本 「新装版 伊丹万作全集2」 筑摩書房
1961(昭和36)年8月20日
初出「キネマ旬報」1936(昭和11)年6月21日号
入力者鈴木厚司
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-29 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        前書

 ルネ・クレールに関する一文を求められたのであるが、由来クレールに関してはほとんどもう語り尽された観がある。しかし考えてみると私には別な見方がないでもない。それを書いて見ようというのであるが自分の仕事のことなどを考えると気恥ずかしくてクレール論などは書けないのがほんとうである。今日はひとつ批評家になつて書いてみようと思う。

        ルネ・クレールと喜劇

 ルネ・クレールについてまつたく何も知らない人から「ルネ・クレールとはどんな人だ」ときかれたならば、私は「非常に喜劇のうまい人だ」と答えるにちがいない。
 少しいい方を変えるならば、ルネ・クレールは私に喜劇を見せてくれるただ一人の映画芸術家だともいえる。
 正直な話、私のクレール観は以上でおしまいなのであるが、これでやめてしまつたのでは『キネマ旬報』の印刷所がひまで困るだろうから、もう少しルネ・クレールをもてあそんでみるが、それにつけても残念千万なのはルネ・クレールが日本の雑誌を読まないことである。

        ルネ・クレールとチャップリン

 ルネ・クレールとチャップリンとの比較はいろんな意味で興味がある。
 ルネ・クレールの喜劇の最も重大な意味は俳優の手から監督の手へ奪い取つたことにあるのだと私は考えている。
「ル・ミリオン」を見た時に私はそれを痛感した。こういう人に出てこられてはチャップリンももうおしまいだと。
 最後の喜劇俳優、チャップリン。最初の喜劇監督、ルネ・クレール。
 悲劇的要素で持つている喜劇俳優、チャップリン。喜劇だけで最高の椅子をかち得たクレール。
 ゲテ物、チャップリン。本場物、クレール。
 世界で一番頑迷なトーキー反対論者、(彼が明治維新に遭遇したら明治三十年ごろまでちよんまげをつけていたにちがいない)チャップリン。世界中で一番はやくトーキーを飼いならした人間、ルネ・クレール。
 感傷派代表、チャップリン。理知派代表、クレール。
 これでは勝負にならない。
 しかし、と諸君はいうだろう。チャップリンはいまだに世界で一番高価な映画を作つているではないか、と。だからしにせほどありがたいものはないというのだ。

        ルネ・クレールと諷刺

 ルネ・クレールの作品にはパリ下町ものの系列と諷刺ものの系列との二種あることは万人のひとしく認めるところである。
 そしてそれらの表現形式は下町ものの場合は比較的リアリズムの色彩を帯び、諷刺ものの場合は比較的象徴主義ないし様式主義的傾向を示すものと大体きまつているようである。
 しかして二つの系列のうちでは、諷刺もののほうをクレール自身も得意とするらしく、世間もまた、より高位に取り扱い、より問題視しているようである。事実、彼の仕事がパリ下町ものの系列以外に出なかつたならば、彼は一種の郷土詩人に終つたか…

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