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独房
どくぼう |
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作品ID | 43684 |
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著者 | 小林 多喜二 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「工場細胞」 新日本文庫、新日本出版 1978(昭和53)年2月25日 |
初出 | 「中央公論 夏期特集号」中央公論社、1931(昭和6)年7月 |
入力者 | 細見祐司 |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2007-01-13 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 36 ページ(500字/頁で計算) |
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誰でもそうだが、田口もあすこから出てくると、まるで人が変ったのかと思う程、饒舌になっていた。八カ月もの間、壁と壁と壁と壁との間に――つまり小ッちゃい独房の一間に、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、独り言でもした時の外はないわけだ。何かものをしゃべると云ったところで、それも矢張り独り言でもした時のこと位だろう。その長い間、たゞ堰き止められる一方でいた言葉が、自由になった今、後から後からと押しよせてくるのだ。
保釈になった最初の晩、疲れるといけないと云うので、早く寝ることにしたのだが、田口はとうとう一睡もしないで、朝まで色んなことをしゃべり通してしまった。自分では興奮も何もしていないと云っていたし、身体の工合も顔色も別にそんなに変っていなかったが、約一年目に出てきたシャバは、矢張り知らずに彼を興奮させていたのだろう。
これは、田口の話である。別に小説と云うべきものでもない。
ズロースを忘れない娘さん
S署から「たらい廻わし」になって、Y署に行った時だった。
俺の入った留置場は一号監房だったが、皆はその留置場を「特等室」と云って喜んでいた。
「お前さん、いゝ処に入れてもらったよ。」と云われた。
そこは隣りの家がぴッたりくッついているので、留置場の中へは朝から晩まで、ラジオがそのまんま聞えてきた。――野球の放送も、演芸も、浪花節も、オーケストラも。俺はすっかり喜んでしまった。これなら特等室だ、蒸しッ返えしの二十九日も退屈なく過ごせると思った。然し皆はそのために「特等室」と云っているのではなかった。始め、俺にはワケが分らなかった。
ところが、二日目かに、モサ(スリのこと)で入っていた目付のこわい男が、ニヤ/\してながら自分の坐っている側へ寄って来てみれと云った。俺は好奇心にかられて、そこへズッて行くと、
「あすこを見ろ。」
と云って、窓から上を見上げた。
俺はそれで「特等室」の本当の意味が分った。
高い金棒の窓の丁度真ッ上が隣りの家の「物ほし」になっていて、十六七の娘さんが丁度洗濯物をもって、そこの急な梯子を上って行くところだった。――それが真ッ下から、そのまゝ見上げられた。
その後、誰か一人が合図をすると、皆は看守に気取られないように、――顔は看守の方へ向けたまゝ、身体だけをズッて寄って行くことになった。
「ちえッ! 又、ズロースをはいてやがる!」
なれてくると、俺もそんな冗談を云うようになった。
「共産党がそんなことを云うと、品なしだぜ。」
とエンコ(公園)に出ている不良がひやかした。
よく小説にあるように、俺たちは何時でもむずかしい、深刻な面をして、此処に坐ってばかりいるわけではないのだ。この決してズロースを忘れない娘さんに対する毎日々々の「期待」が、蒸しッ返えしの長い長い二十九日を、案外のん気…