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弓道中祖伝
きゅうどうちゅうそでん |
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作品ID | 43744 |
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著者 | 国枝 史郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「国枝史郎伝奇全集 巻五」 未知谷 1993(平成5)年7月20日 |
初出 | 「キング」1932(昭和7)年6月 |
入力者 | 阿和泉拓 |
校正者 | 湯地光弘 |
公開 / 更新 | 2005-06-22 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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1
「宿をお求めではござらぬかな、もし宿をお求めなら、よい宿をお世話いたしましょう」
こう云って声をかけたのは、六十歳ぐらいの老人で、眼の鋭い唇の薄い、頬のこけた顔を持っていた。それでいて不思議に品位があった。
「さよう宿を求めて居ります。よい宿がござらばお世話下され」
こう云って足を止めたのは、三十二三の若い武士で、旅装いに身をかためていた。くくり袴、武者草鞋、右の肩から左の脇へ、包を斜に背負っていた。手には鉄扇をたずさえている。深く編笠をかむっているので、その容貌は解らなかったが、体に品もあれば威もあった。武術か兵法かそういうものを、諸国を巡って達人に従き、極めようとしている遊歴武士、――といったような姿であった。
「よろしいそれではお世話しましょう。ここは京の室町で、これを南へ執って行けば、今出川の通りへ出る。そこを今度は東へ参る。すると北小路の通りへ出る。それを出はずれると管領ヶ原で、その原の一所に館がござる。その館へ参ってお泊りなされ。和田の翁より承わったと、このように申せば喜んで泊めよう。さあさあおいで、行ってお泊り」
云いすてると老人は腰を延ばし、突いていた寒竹の鞭のような杖を、振るようにして歩み去った。
若い武士は唖然としたようであった。
時は文明五年であり、応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半は烏有に帰し、残った家々も大破し、没落し、旅舎というようなものもなく、有ってもみすぼらしいものであった。若武士が京の町へ足を入れたのは、たった今しがたのことであり、時刻はすでに夕暮であり、事実さっきからよい宿はないかと、それとなく探していたところであった。で、老人に呼び止められ、今のように宿を世話されたことは、有難いことには相違なかったが、それにしても老人の世話のしかたが、あまりにも唐突であったので、そこで唖然としたのであった。唖然としたが、それがために、老人の好意を無にしたり、老人の言葉を疑うような、そんな卑屈な量見を、その若武士は持っていないと見えて、云われたままの道を辿り、云われたままの館の前に立った。
さてここは館の前である。
もうこの時は初夜であって、遅い月はまだ出ていなかった。
で、細かい館の様子は、ほとんど見ることが出来なかったが、桧皮葺の門は傾き、門内に植えられた樹木の枝葉が、森のように繁っていた。取り廻された築地も崩れ、犬など自由に出入り出来そうであった。旅宿といったような造りではなかった。
(これは変だな)と思ったものの、そのことがかえって若い武士の、好奇の心をそそったらしく、立ち去らせる代わりに門を叩かせた。
と、叩いた手に連れて、門が自ずと少し開いた。
(不用心のことだ)と思いながら、若武士は門内へ入って行った。鬱々と繁っている庭木の奥に、いかめしい書院造りの館が立っ…