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郷介法師
ごうすけほうし
作品ID43770
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎伝奇全集 巻六」 未知谷
1993(平成5)年9月30日
初出「ポケット」1925(大正14)年7月
入力者阿和泉拓
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-10-05 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 初夏の夜は静かに明け放れた。
 堺の豪商魚屋利右衛門家では、先ず小僧が眼を覚ました。眠い眼を渋々こすりながら店へ行って門の戸を明けた。朝靄蒼く立ちこめていて戸外は仄々と薄暗かったが、見れば一本の磔柱が気味の悪い十文字の形をして門の前に立っていた。
「あっ」と云うと小僧平吉は胴顫いをして立ち縮んだが、やがてバタバタと飛び返ると、
「磔柱だア! 磔柱だア!」と大きな声で喚き出した。
 これに驚いた家内の者は挙って表へ飛びだしたが、いずれも気味悪い磔柱を見ると颯と顔色を蒼くした。
 注進を聞くと主人利右衛門はノッソリ寝所から起きて来たが、磔柱を一眄すると苦い笑いを頬に浮かべた。
「いよいよ俺の所へ廻って来たそうな。ところでなんぼと書いてあるな?」
「五万両と書いてございます」
 支配の勘介が恐々云う。
「うん、五万両か、安いものだ。一家鏖殺[#「鏖殺」は底本では「鑿殺」]されるより器用に五万両出すことだな」
 こう云い捨ると利右衛門はその儘寝所へ戻って行ったが、海外貿易で鍛えた胆、そんな事にはビクともせず夜具を冠ると眼を閉じた。間もなく鼾の聞こえたのは眠りに入った証拠である。
 五万両と大書した白い紙を胸の辺りへ付けた磔柱は小僧や手代の手によって直ぐに門口から外り去られたが、不安と恐怖は夕方まで取り去ることが出来なかった。
 その夕方のことであるが、艶かしい十八九の乙女が一人、洵に上品な扮装をして、魚屋方へ訪れて来た。
「ご主人にお目にかかりとう存じます」
「ええ何人でございますな?」
「五万両頂戴に参りました」
「わっ」と云うと小僧手代は奥の方へ走り込んだが、それと引き違いに出て来たのは主人の魚屋利右衛門であった。
「お使いご苦労に存じます」
 利右衛門は莞爾と笑ったが、
「先ずお寄りなさりませ」
「いえ少し急ぎます故……」
 乙女は軽く否むのである。
「五万両の黄金は重うござるに、どうしてお持ちなされるな?」
「魚屋様は商人でのご名家、嘘偽りないお方、それゆえ現金は戴かずとも、必要の際にはいつなりとも用立て致すとお認し下されば、それでよろしゅうございます」
「それはそれはいと易いこと、では手形を差し上げましょう」
 サラサラと一筆書き記すと、それを乙女へ手渡した。
「それでよろしゅうござるかな?」
「はい結構でございます。ではご免下さりませ」
「もうお帰りでございますかな?」
「はい失礼致します」
 乙女は淑やか[#「淑やか」は底本では「叔やか」]に腰をかがめると静かに店から戸外へ出たが、黄昏の往来を海の方へ急かず周章ず歩いて行く。

 それから間もないある日のこと。千利休に招かれて利右衛門は茶席に連なった。日頃から親しい仲だったので、客の立去ったその後を夜に入るまで雑談した。
 ふと思い出した利右衛門は盗難の話をしたものである。
「それはそれは」と千利…

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