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けむりを吐かぬ煙突
けむりをはかぬえんとつ
作品ID43780
著者夢野 久作
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日
入力者雨谷りえ、將之
校正者A子
公開 / 更新2006-10-22 / 2014-09-18
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 外はスゴイ月夜であった。玄関の正反対側から突出ている煙突の上で月がグングンと西に流れていた。
 庭の木立の間の暗いジメジメした土の上を手探りで歩いて行くうちにビッショリと汗をかいた。蜘蛛の巣が二三度顔にまつわり付いたのには文字通り閉口した。道を間違えたらしかったが、それでも裏門に出ることは出た。
 潜戸から首だけ出した。誰も居ない深夜の大久保の裏通りを見まわした。今一度、黒い煙突の影を振返ると急ぎ足で横町に外れた。
 東京市内の地理と警察網に精通している新聞記者の私であった。誰にも発見されずに深夜の大久保を抜け出して、新宿の遊廓街に出るのは造作ない事であった。
 そこで私はグデングデンに酔っ払ったふりをしながら朦朧タクシーを拾い直して来て、駿河台の坂を徒歩で上って、午前四時キッカリにお茶の水のグリン・アパートに帰り着いた。
 このアパートは最新式の設備で、贅沢な暖房装置がある。出入りはむろん自由になっていた。それでも私は細心の注意をして、音を立ないように三階の一番奥の自分の室に忍び込んで、内部からソッと錠を卸した。
 室の中央のデスクには受話機を外した卓上電話器と、昨夜の十一時近くまで書いていた日曜附録の原稿が散らばっていた。点けっ放しの百燭光に照らされたインキの文字がまだ青々していた。その原稿の上に、内ポケットから取出した裸のままの[#「裸のままの」は底本では「裸のままので」]千円の札束を投げ出した。それから素裸体になって、外套や服はもとより、ワイシャツから猿股まで検査した。どこにも異状のないことをたしかめてから、モトの通りに着直した。少々寒かった。
 寝台の脚にかけたフランネルの布で靴を磨き上げた。自動車のマットで念入りに、拭い上げておいたものではあったが……。
 室の隅の洗面器で音を立てないように手を洗った。立てても差支えないとは思ったが……。
 最後に私は椅子の上に置いた帽子を取上げて叮嚀にブラシをかけた。細かい蜘蛛の糸が二すじ三筋付いていたから、特に注意して摘み除けた。ブラシに粘り付いたのと一緒に指先で丸めて、洗面器のパイプに流し込んだ。
 そのまま室の隅の帽子かけに掛けようとしたが、その序に何の気もなく内側を覗いてみるとギョッとした。JANYSKA と刻印した空色のマークの横に、黒と金色のダンダラになった細長い生物がシッカリと獅噛み付いている。のみならずその右の前足の一本だけを伸ばしてソロソロと動かしかけているようである。
 ……お女郎蜘蛛だ……あの南堂家の木立の中に居った奴がクッ付いたままここまで来たのだ。私が電燈の下で掃除をする時に、持って生まれた習性で暗い方へ暗い方へと逃げまわって、巧みに私の眼を脱れながらコンナ処に落ち付いていたのであろう。……南堂未亡人の執念……?……。
 私はフッと可笑しくなった。少々センチになったかな……と思いなが…

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