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山の雪
やまのゆき |
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作品ID | 43784 |
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著者 | 高村 光太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「昭和文学全集第4巻」 小学館 1989(平成元)年4月1日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-01-02 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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わたしは雪が大好きで、雪がふってくるとおもてにとび出し、あたまから雪を白くかぶるのがおもしろくてたまらない。
わたしは日本の北の方、岩手県の山の中にすんでいるので、十一月ごろからそろそろ雪のふるのを見ることができ、十二月末にはもういちめんにまっしろになったけしきをまいにち見る。このへんでは、平均一メートルくらいしかつもらないけれども、小屋の北がわでは屋根までとどき、地めんのくぼみなどでは人間の胸くらいまでつもる。
わたしの小屋は村の人たちのすんでいるところから四百メートルほど山の方にはなれていて、まわりに一けんも家はなく、林や野はらや、少しばかりの畑などがあるだけで、雪がつもるとどちらを見てもまっしろな雪ばかりになり、人っこひとり見えない。むろん人のこえもきこえず、あるく音もきこえない。小屋の中にすわっていると、雪のふるのは雨のように音をたてないから、世界じゅうがしずかにしんとしてしまって、つんぼになったような気がするくらいだが、いろりでもえる薪がときどきぱちぱちいったり、やかんの湯のわく音がかすかにきこえてくる。そういう日が三ヶ月もつづく。
一メートルくらいつもった雪はあるきにくいから人も小屋にたずねてこない。あけてもくれてもひとりでいろりに火をもしながら、食事をしたり、本をよんだり、仕事をしたりしているが、そんなにながくひとりでいるとなんだか人にあいたくなる。人でなくてもいいから何か生きているものにあいたくなる。鳥でもけだものでもいいからくればいいとおもう。
そういう時にわたしをよろこばせるのは山のキツツキだ。キツツキは夏はこないが、秋のころから冬にかけてこのへんにすんでいてときどき小屋をつつきにくる。小屋のそとの柱や、棒ぐいや、つんである薪などをつついて中にいる虫をたべるらしい。その音がなかなか大きく、こつこつこつこつとせっかちにきこえる。まるでお客がノックするような感じで、おもわず返事がしたくなる。つつく場所によってとんとんとんとんともきこえ、しばらくすると大きな羽音をさせて又べつの柱にゆく。虫がいましたかときいてみようとしているうちに、キョッというような小さな鳴きごえを出してとんでいってしまう。小屋の前にある栗の木のみきをしきりにたたいているのを見ると、頭のすこし赤いアオゲラというキツツキや、白いぶちが黒い羽についていて腹の赤いアカゲラというのが多いようだ。キツツキのほかには何の小鳥か、朝はやくや、夕方うすぐらくなるころ、のきしたにつるしてあるいろいろの青ものの実や、草の実をついばみにくる小鳥がいる。朝まだねている時、障子のそとでとびまわるその羽の音が、まるで枕もとでとんでいるように近くきこえる。なんだかかわゆらしい。わたしは小鳥におこされて、目をこすりながらおきあがる。キジやヤマドリは秋には多く見かけるが雪がふるとあまりこない。遠くの沼…