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骨董
こっとう
作品ID43788
著者幸田 露伴
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」 講談社
1963(昭和38)年1月19日
入力者kompass
校正者浅原庸子
公開 / 更新2007-12-07 / 2014-09-21
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 骨董といふのは元来支那の田舎言葉で、字はたゞ其音を表はしてゐるのみであるから、骨の字にも董の字にもかゝはつた義が有るのでは無い。そこで、汨董と書かれることもあり、又古董と書かれることもある。字を仮りて音を伝へたまでであることは明らかだ。さて然し骨董といふ音が何様して古物の義になるかといふと、骨董は古銅の音転である、といふ説がある。其説に従へば、骨董は初は古銅器を指したもので、後に至つて玉石の器や書画の類まで、すべて古いものを称することになつたのである。なるほど韓駒の詩の、「言ふ莫かれ衲子の籃に底無しと、江南の骨董を盛り取つて帰る」などといふ句を引いて講釈されると、然様かとも思はれる。江南には銅器が多いからである。しかし骨董は果して古銅から来た語だらうか、聊か疑はしい。若し真に古銅からの音転なら、少しは骨董といふ語を用ゐる時に古銅といふ字が用ゐられることが有りさうなものだのに、汨董だの古董だのといふ字がわざ/\代用されることが有つても、古銅といふ字は用ゐられてゐない。[#挿絵]晴江は通雅を引いて、骨董は唐の引船の歌の「得董[#挿絵]那耶、揚州銅器多」から出たので、得董の音は骨董二字の原だ、と云つてゐる。得董[#挿絵]那耶は、エンヤラヤの様なもので、囃し言葉である、別に意味も無いから、定まつた字も無いわけである。其説に拠つて考へると、得董又は骨董には何の意味も無いが、古い船引き歌の其の第二句の揚州銅器多の銅器の二字が前の囃し言葉に連接してゐるので、骨董といふことが銅器などを云ふことに転じて来たことになるのである。又それから種[#挿絵]の古物をも云ふことになつたのである。骨董は古銅の音転などといふ解は、本を知らずして末に就いて巧解したもので、少し手取り早過ぎた似而非解釈といふ訳になる。
 又、蘇東坡が種[#挿絵]の食物を雑へ烹て、これを骨董羮と曰つた。其の骨董は零雑の義で、恰も我邦俗のゴッタ煮ゴッタ汁などといふゴッタの意味に当る。それも字面には別に義があるのでは無い。又、水に落つる声を骨董といふ。それもコトンと落ちる響を骨董の字音を仮りて現はしたまでで、字面に何の義も有るのでは無い。畢竟骨董はいづれも文字国の支那の文字であるが、文字の義からの文字では無く、言語の音からの文字であつて、文字は仮りものであるから、それに訓詁的のむづかしい理屈は無い。
 そんな事は何様でも可いが、兎に角に骨董といふことは、貴いものは周鼎漢彝玉器の類から、下つては竹木雑器に至るまでの間、書画法帖、琴剣鏡硯、陶磁の類、何でも彼でも古い物一切を云ふことになつてゐる。そして世におのづから骨董の好きな人が有るので、骨董を売買する所謂骨董屋を生じ、骨董の目きゝをする人、即ち鑑定家も出来、大は博物館、美術館から、小は古郵便券、マッチの貼紙の蒐集家まで、骨董畠が世界各国都鄙到るところに開かれて存在して…

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