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次郎物語
じろうものがたり
作品ID43790
副題03 第三部
03 だいさんぶ
著者下村 湖人
文字遣い新字新仮名
底本 「下村湖人全集 第二巻」 池田書店
1965(昭和40)年7月30日
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-02-02 / 2015-03-07
長さの目安約 240 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 運命の波

 次郎の中学一年の生活も、二学期が過ぎて、新しい春がめぐって来た。入学試験に一度つまずいた彼は、もうそろそろ青年期に入ろうとしているのである。
 青年期になると、たいていの人が、程度の差こそあれ、理想と現実との板ばさみになって、光明か暗黒かの岐路に立つものだが、読者が、これまで、いくぶんせっかちだと思われるほどの気持になって知りたがっていたのも、恐らく彼のそうした生活であったらしく私には思われる。で、私も、この巻では出来るだけ彼のそうした生活について語りたいと思っている。
 だが、言うまでもなく、青年期の生活は、青年期だけで独立してはじまるものではない。青年次郎の生活を準備したものは、まさしく少年次郎であった。少年次郎の生活は、ちょうど山川の水が平野の川を流れて行くように、青年次郎の中に生きて行くのである。だから、少年次郎を知ることなしには、青年次郎の喜びも悩みもほんとうにはわからない。そこで私は、これからはじめて彼を知ろうとする人々や、これまで彼を知るには知っていても、彼の十五年間の生活の意味を、まだじっくりと考えてみる時間を有しなかった人々のために、ここで一応彼の過去をふりかえって、私の次郎観といったようなものを述べておきたいと思う。読者の中には、あるいは、それを無駄だと思う人があるかも知れない。しかし、それが無駄であるかどうかは、一応それに眼をとおしてから決めてもらっても、おそくはあるまいと思う。と言うのは、無駄なことを読むよりも、無駄なことを書くことの方が、はるかにより多くの時間を無駄づかいするものだということを、最もよく知っているのは、読む側の人ではなくて、書く側の人なのだから。

     *

 次郎の天性――くわしくいうと、彼が生れ落ちたときに、天から授かった生命の生地のままのすがた――が、どのようなものであったかは、むろん誰にもわかるはずがない。それは、おそらく、神様だけの胸に納まっていることであろう。およそわれわれが個々の人間の性質について知りうることは、その人間が、この世の空気を多少とも呼吸したあとのことなのである。そして人間は空気とともに運命をも呼吸するものだが、その運命は、人間の天性を決して生地のままにはしておかないものなのだ。
 とりわけ、次郎はかなりきびしい運命の持主であった。しかもその運命は、生れてすぐの子供にとってはほとんどその生活の全部だともいうべき母乳が、母の乳房に十分めぐまれていなかったという事実にはじまったのである。もっとも、母乳の欠乏というようなことは、何も取立てて言うほど珍しいことではなく、世間には母の思慮深い処置によって、それを運命というほどの運命と感じないで育って行く子供も、ずいぶん多いのである。だから、次郎の場合、もし母の無思慮、というよりは、その生半可な教育意識が、乳の欠乏ということをきっ…

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