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![]() ひゃくしょうにっき |
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作品ID | 43812 |
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著者 | 石川 三四郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「石川三四郎著作集第二巻」 青土社 1977(昭和52)年11月25日 |
初出 | 「あをぞら」1926(大正15)年2月10日号、「農民自治 第2、3号」1926(大正15)年5月10日、6月25日 |
入力者 | 田中敬三 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2007-01-05 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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私の農事実験所
欧羅巴に漂浪のみぎり、私は五六年の間、仏蘭西で百姓生活を営んで来た。馬鈴薯が枝に実ると思つた程無智な素人が、トマト、オニオン、メロン、コルフラワアから、人蔘、カブラ、イチゴ、茄子、隠元、南瓜まで、立派に模範的に作れる様になつた。果樹の栽培もやつた。葡萄酒も造つた。林檎酒も造つた。町の人々が来て、私の畠を、農事試験場の様だと評したほど種々なものを試みた。米も、落花生も作つて見たが、之は全然失敗に終つた。
労働も可なり激しかつた。殊に夏は、最も繁激な時期である。朝四時から夜の十二時まで働き通すことが屡々あつた。収穫から、罎詰、殺菌まで一日の間に成し終らねばならぬ物になると、どうしても斯うならざるを得ないのである。其代り、斯うして青い物を保存して置くと、真冬の間でも、新鮮な青物を常に食膳に載せることが出来る。主として菜食主義の生活をするものには、之は必要欠く可からざる仕事であつた。
先づ、こんな風にして、兎に角、五六年の間、殆んど自給自足の生活を送つて来た。此百姓生活の日々の出来事を朦朧たる記憶を辿つて書いて見やうと言ふのだが……。諸君如何でしやう? 少しは面白そうでしやうか。何かの為になるでしやうか。兎に角、一回見本を出して、果して此狭い紙面に割込ますだけの価値があるかどうか、伺ひをたてる事に致します。
種まき
馬鈴薯が枝に成るものと思つた失敗談は、『我等』に書き、拙著『非進化論と人生』にも載せたから、此処には省略する。
種の蒔きかた。是はぞうさなさそうで、仲々六ヶしいもの。大豆、小豆、隠元の様なものは難かしいことも無いが、細かい種、殊に人蔘の種蒔は、ちよと六ヶしい、仏蘭西で某る農学校の校長さんが、「人蔘の種蒔は、此学校の先生よりは、隣りの畠の婆さんの方がよつぽど上手です」と歎息した話を聞いたが、其通りだ。
種蒔は、深すぎても浅すぎても不可ない。しめり過ぎた処に蒔けば腐る。燥いた処に蒔いた後で永く雨が降らなければ枯れて了ふ。だから、百姓する第一要件として天候気象の判識力を要する。東京の気象台の天気予報の様な判識力では、先づ百姓様になる資格はないと言つて可い。実際田舎の百姓老爺に伺ひを立てゝ見ると、博士さん達の予報よりは、よつぽど確かだ。隠元の葉が竪になれば雨が降り、横になれば、日でり、向ふの山の端に白雲がかゝれば風が起る。暴風の襲来せんとする時は、小鳥でも鶏でも、居処がちがふ。殊に雛を持つ雌鶏のこうした事に敏感なことは神秘なものである。バロメエタアも大きな標準にはなるが、動物の直感は更に鋭敏で間違が無い。常に自然の中に生活する百姓は、自然と同情同感になつて居るので、自ら気象学者になつて居る。眼に一丁字無き百姓婆さんも、こうしてそこらの博士さん達よりも本当の学者になつて居る。此に於て、農学博士さんも人蔘の種蒔で…