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「壇」の解体
「だん」のかいたい
作品ID43814
著者中井 正一
文字遣い新字新仮名
底本 「増補 美学的空間」 叢書名著の復興14、新泉社
1977(昭和52)年11月16日
初出「大阪朝日新聞」1932(昭和7)年1月19日~22日
入力者鈴木厚司
校正者染川隆俊
公開 / 更新2009-05-15 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文壇、画壇、楽壇、歌壇、俳壇、乃至学壇、評壇等々、それはそれぞれ犯すべからざる神聖なるにわである。空間的な特殊ななわ張りである。その中に置かれることで、或種の安心と尊敬をむさぼることの出来る一つの聖域である。人々はその中に祭られんことをのみ希っている。
 又別の考え方より見れば、動物が自らを保護せんために群れをなし、群れの一部分となることで或種の安心をもつこと、これが人間それ自身を他の動物より区別せしめ、また人間同士ではその中で各々の群れを構成して行くこととなる。恰も羊の群れが獅子の攻撃に対して方陣を布く様に、人々は各々の群に於てその角を揃える。
 このことはその群つどいが、実はその角の方陣の中にもぐり込むことを意味するのであって、ひくい意味に於てそれは逃避でもある。
 このことが、次の様な現象を伴う。
 この角の方陣の中にもぐり込むまでは奮迅の勢をもって突進するけれど、その中にもぐっての後は、ホッとして静かに喘ぐ様なこととなる。
 誰かが防いでくれるだろうところの角の方陣の中に誰もが肩で息をすることとなる。
 あらゆる――「壇」の沈滞の一因は即ちそれである。
 しかし、この何となく落着きのない、しかも最早決して迷わない羊達は何の前にその方陣を組んだであろうかを考える時、私達は寂かにほほ笑ませられるのである。
 彼等の不安の底に浮出づるいわゆる「批評」なるものが、実はやはり一つの不安なる群れ評壇を構成していることに想到する時、むしろ世の中は朗かである。羊に対して獅子もやはり方陣を組んで呻っているのである。
 羊と獅子が広い高い平原の空間に対して、ただひたすらに怖れて所々に群れる景色は、明るい、実に明るい。
 しかし、問題は彼等のこの不安と怖れがその防衛にあたって、正当なる角度よりせられているかどうかということにある。一見それは芸術的価値及び良心と批評的価値及び良心の上に立っての論争の交換、誤謬の剔出として現われてはいる。お互いに一分のスキも与えまいとしての関心と焦慮、それは確かに一つの不安ではある。
 しかし、彼等の不安の一番深い根を探る時、彼等をして闇々の中に悚然として脅かしているものは、寧ろモウ一つの不安、即ちそれらの失敗がもたらすところの経済的不安である。芸術的不安という寧ろ第二次的不安より、漸くこの彼等の真の一次的不安に向って関心は凝集されはじめる。画壇にもせよ、楽壇にもせよ、その傾向はみな同じである。
 この芸術の経済性の第一階程は、先ず弟子とパトロンの捜索よりはじまる。稍々愚鈍なる浪費者を身辺に求めることは或時代に於ては可能であった。しかし、今に於ては漸く殆ど稀である。従って今や他の組織を必要とするに至った。この第二の階程は芸術的ブローカーとしてのマネジャーを把握することである。楽壇にマネジャーがあるように、画壇にも画商ブローカーがある。文壇に…

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