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![]() けいさんはけいさん |
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作品ID | 43857 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集17」 岩波書店 1991(平成3)年11月8日 |
初出 | 「別冊文芸春秋 第十九号」1950(昭和25)年12月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2021-03-05 / 2021-02-26 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
悪夢のやうな戦争がすんで、その悪夢の名残りとも思はれる重苦しい気分が、まだ続いてゐるいく年か後のことである。
もう五十を二つ三つ越して、十年一日のやうな教師といふ職業に、すこし疲れをおぼえかけた守屋為助は、性来、ものごとにこだはらず、どこまでも善意をもつて人に接するといふ風な人物であつたにも拘はらず、近頃、ふとしたことに思ひ悩んで、めづらしく暗い顔を家のものにも見せるやうなことがある。
A大学教授、といふ新しい肩書ですこし鼻を高くするほどの稚気はさらさらなく、昔ながらの高等学校教師でゐたいと、いつも口癖のやうに言ひ言ひするのを、妻の杉江は、それはさうあらうと、夫の言葉をそのまま信じ、別に俸給の率に関係さへなければ、その方が夫の人柄にふさはしいのにと、ひそかに、大学教授といふいかめしい肩書を恨んでゐるくらゐであつた。
事実、守屋為助には、学問に対する情熱よりも、教育そのものに対する興味の方が大きいやうにみえた。専門の心理学は、いはば、概論の繰り返しに必要な新刊書に眼を通す程度に止め、特別に深い研究をつづける野心もなく、その代り、一個の教師として、受持の学生を指導する責任といふ点にかけては、彼ほど真剣に、かつ、周到に、そのことを考へてゐる教師は、稀だといひ得るのである。
櫛をあてるのは、床屋へ行つた時だけといふ頭髪は、棕櫚箒のやうに左右に乱れ、上下いく本か残つてゐる歯は、煙草のヤニのために海岸の岩のやうに黒く、剃刀を極度にきらつて、ヒゲは必ずハサミで切らせることにしてゐるから、いつでも多少は伸びてゐる。九州人特有の骨格が、洋服を和服のやうに、和服を洋服のやうにみせるほか、風貌全体からいへば、これといつて人目をひくやうなところはない。いつも慎み深く、どこへ行つても片隅に座を占める習慣があるので、集りの場所などでは、気をつけて捜さなければ、彼のゐることをうつかり知らずにすごすこともあるくらゐである。
ところが、この、一見、地味で目立たない存在が、家庭でも、学校でも、決して周囲からうとんぜられる存在ではなく、それどころか、彼の在るところ、常に春風駘蕩といひたいほどの、一種の温か味と爽やかさとを身につけてゐることが、それを感じるものにはみな感じられてゐた。
彼の怒つた表情を誰も見たものはなく、さうかといつて、高笑ひの声を聞いたものもない。彼の眼は常にしづかに澄み、唇は、わづかにもの言ひたげに開いてゐる。口数は決して多くはないけれども、話しはじめると、なかなか能弁で、しかも、節度があつた。時に諧謔を弄するやうにみえることがあるけれども、それも、才気の迸りに類するものではむろんなく、淡々とした性情の自然の流露が、間髪をいれぬ素朴さで、急所を突いた応酬を生むのである。
二男二女の父親である彼は、妻の杉江と共に、そろそろ、老後の心配をしはじめてゐるものの、…