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悪態の心理
あくたいのしんり
作品ID43858
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集17」 岩波書店
1991(平成3)年11月8日
初出「オール読物 第六巻第一号」1951(昭和26)年1月1日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2020-11-02 / 2020-10-28
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 葉村ヨシエと佐原あつ子とは、いづれもある官庁の文書課に勤めてゐるタイピストで、二人は採用試験のあつた日にはじめて口をきき、希望がかなつていよいよ役所に顔を出すと、そこでもまたお互に幸運をよろこび合ひ、それ以来まる三年、机を並べて仕事をしてゐる間柄である。
 ヨシエの生れは北海道旭川で、父親は林檎と除虫菊の可なり大規模な農園を経営し、彼女が旧制女学校を終へると、東京に出て自分の好きな道へ進むことをゆるした。はじめ、音楽をやるつもりであつたが、家の経済事情が急にわるくなつたため、思ひきつて音楽修業を断念し、タイプライタアを習つて自活する決心をつけたのである。色の白い、からだのひきしまつた、早口となまりで、時々話は聴きとりにくいが、明るい、はづみのある声の持主であつた。
 一方、佐原あつ子は、名優某の落し種と自称して憚からぬ女子大卒業生で、時によると、事務官の英語の発音を直してやるほどのおせつかいだが、頼まれたことは決していやと言はず、誘はれれば、誰とでもどこへでも行く闊達自在な娘で、それでゐて、決して浮名を立てたことのないのは、必ずしも容姿風貌が美しすぎるからでも、まづすぎるからでもなく、ただ、妙にその点だけは、信用がおけさうな姐御肌のところがあるからであらう。
 年はといへば、ヨシエが今年の三月で満二十五歳、あつ子がこの十一月満二十三歳になつたばかりである。これは誰しも逆ではないかと思ふくらゐ、ヨシエは若くみえ、あつ子はふけてみえる。そこにもまた面白い気性や好みの対照があつて、この二人は、よく一緒に並んで歩き、よく誘ひ合つて屋上へあがり、仲よく笑ひ興じてゐるかと思ふと、急に口角泡を飛ばしかねない議論をおつぱじめるのである。そして、その挙句、二日間、口をきかないでゐて、三日目に、どちらからか、紙ぎれへ「無条件和平を提議す」とか、「面白くないわ」とか、タイプでたたいて、そつと相手の机の上へ投げてやる。
 さて、かういふ間柄であつたから、互に、相当のところまで底を割つて打ち明け話をしたり、前途の不安について微妙な言葉で語り合つたりするとはいふものの、それも、互にまつたく心をゆるしてといふのではなく、むしろ、かういふ話題においてこそ、もつとも、自ら恃むところのもの、教養と才気とを、女性らしく示し合ふことができると信じたからである。
 例へば、あつ子がある方面からの縁談について、自分の立場からの批判を加へ、更に相手の意見をそれとなく求めるとする。ヨシエはそれに対して、一応、突つ込んだ質問を試み、極めて素直らしく当りさはりのない感想をもらしてから、そもそも結婚の幸福とは、といふ風に問題をそらしてしまふ。が、実は、この一般論こそ、彼女の蘊蓄を傾ける場所で、過去何年間、読書を通じて得た知識のすべてが、そこに集中されるのである。
 それからまた、例へば、ヨシエの方から、…

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