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秋の雲
あきのくも |
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作品ID | 43860 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集18」 岩波書店 1992(平成4)年3月9日 |
初出 | 「サンデー毎日 第三十年第三十七号(新秋特別号)」1951(昭和26)年9月10日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-12-13 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 41 ページ(500字/頁で計算) |
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一
熊川忠範の名前は、今や、全村はおろか、県下に知れ渡らうとしてゐる、といつても言ひ過ぎではない。
一介の炭焼が、突如として名声を博し、やがて産を成す希望を与へられたと言へば、おそらく森の奥で金塊を拾つたか、谷川のほとりにラヂウム泉の湧き出るのを見つけたか、そのへんのところに相違ないと思ふひともあらうが、話はもう少し込み入つてゐて、しかも、人生の皮肉を興深く感じさせるものである。
太平洋戦争酣な頃、上州浅間山麓の焼石の原のまんなかへ、海軍関係の工場が建設され、いく百といふ召集漏れの男子が徴用工として集められた。
そのなかに、別にこれといふ特徴もない中年の小柄な男が混つてゐた。なにをさせても、こつこつと、根気よく働くかわりに、なんでもない仕事に、ひとの三倍時間をくふといふ変り者で、そのうへ、仲間のわるい企みには決して加はらず、かといつて、それを上役に密告するやうな真似はしたためしがない。酒は一滴も飲まぬが、煙草は好物で、配給のキザミや金鵄ぐらゐで事足りるわけはないから、ひとから聞いたイタドリやフキの葉を乾かして吸ひ、山をうろつきながら、さまざまな雑草の葉を自分でためしてみては、最後に、ゴハといはれる茎の短い、大きな葉がカヘデのやうに五つに割れたヒダのある草を常用にした。
この男はまた、平生はおそろしく無口で、ひとが何を喋つてゐても、めつたに口を挟むことはなく、だれも、この男が、仕事の最中に無駄話をしてゐるのを見たことがない。ところが、たつたふたつ、この男を見違へるほど能弁にする話題があつた。それは、事、建築用材に関して、それから、もうひとつは、朝鮮といふ土地柄に関してである。
なるほど、その理由は、聞いてみればなんでもないのであるが、たゞ、面白いことは、ひとびとはやがて、この能弁にいたく悩まされるに至るといふことである。
この男は、熊川忠範といひ、徴用された時は四十二歳であつた。もと九州柳川在の生れで、次男坊なるが故に、縁故を辿つて大阪へ年期奉公に出た。奉公先は、ほかでもない、洗ひ屋であつた。洗ひ屋といふ職業を当節の若いひとはあまり知らぬやうであるが、これは、ひと口に言へば、汚れた家の洗濯をする仕事で、年月の垢のたまつた家の隅々を、或は、新築中にいくらかはつく柱や天井のシミを、薬品を使つて綺麗に洗ひ落す特殊な技術者を指すのである。
そこで、熊川忠範は大阪でこの洗ひ屋といふ商売をおぼえ、一人前の職人になると、仲間の誘ひに乗つて東京へ踏み出した。東京には腕のいゝ洗ひ屋が少く、今のうちなら、腕が見せられるといふ、その仲間の、青年らしい野心についふらふらと未来の夢をみたためであつた。
東京は、熊川忠範を寛大に迎ひ入れはしなかつた。仲間と二人で、さる親方の店に使はれてゐるうちに、相棒の男は、彼に無断で店を飛び出し、親方は、その罰として彼の給料を上げよ…