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しまい |
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作品ID | 4394 |
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著者 | 若山 牧水 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「若山牧水全集 第九卷」 雄鶏社 1958(昭和33)年12月30日 |
初出 | 「新聲」1907(明治40)年12月号 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2004-02-21 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 23 ページ(500字/頁で計算) |
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山には別しても秋の來るのが早い。もう八月の暮がたからは、夏の名殘の露草に混つて薄だとか女郎花だとかいふ草花が白々した露の中に匂ひそめた。大氣は澄んで、蒼い空を限つて立ち並んで居る峯々の頂上などまでどつしりと重みついて來たやうに見ゆる。漸々紅らみそめた木の實を搜るいろ/\の鳥の聲は一朝ごとに冴えまさつた。
お盆だ/\と騷がれて、この山脈の所々に散在して居る小さな村々などではお正月と共に年に二度しかない賑かな日の盂蘭盆も、つい昨日までゝすんだ。一時溪谷の霧や山彦を驚かした盆踊りの太鼓も、既う今夜からは聽かれない。男はみな山深くわけ入つて木を伐り炭を燒くに忙しく、女どもはまた蕎麥畑の手入や大豆の刈入れをやらねばならなかつたので何れもその疲勞から早く戸を閉ぢて睡て了つた。昨夜などはあんなに遲く私の寢るまでもあか/\と點いてゐた河向ひの徳次の家の灯も夙うに見えない。たゞ谷川の瀬の音が澄んだ響を冴え切つた峽間の空に響かせて、星がきら/\と干乾びて光つて居る。
私は書見に勞れて、机を離れて背延びをしながら[#挿絵]に凭つた。山々の上に流れ渡つて居る夜の匂ひは冷々と洋燈の傍を離れたあとの勞れた身心に逼つて來る。何とも言へず心地が快い。馴れたことだが今更らしく私は其處等の谷川や山や蒼穹などを心うれしく眺め[#挿絵]した。眞實冷々して、單衣と襦袢とを透して迫つて來る夜氣はなか/\に悔[#「悔」はママ]り難い。一寸時計を見て、灯を吹き消して、廣い座敷のじわ/\と音のする古疊の上を階子段の方に歩いて行つた。
下座敷に降りて見ると、中の十疊にはもうすつかり床がとつてある。けれども寢て居るのは父ばかりで、その禿げ上つた頭を微かな豆ランプの光が靜かに照らして居る。音たてぬやうに廊下に出ると前栽の草むらに切りに蟲が喞いて居る。冷い板を踏んでやがて臺所の方に出た。平常は明け放してある襖が矢張り冷いからだらう今夜はきちんと閉めてある。それを見ると何となく胸が沈むやうなさゝやかな淋しさを感じた。
襖を引開くると、中は案外に明るくて、かつと洋燈の輝きが瞳を射る。見ると驚いた、母とお兼とばかりだらうと想つてゐたのに、お米と千代とが來て居て、千代は圍爐裏近く寄つた母の肩を揉んで居る。
「ヤア!」
と思はず頓狂な聲を出して微笑むと、皆がうち揃つて微笑んで私を見上ぐる。一しきり何等か談話のあつたあとだなと皆の顏を見渡して私は直ぐ覺つた。
切りに淋しくなつてゐた所へ以て來て案外なこの兩人の若い女の笑顏を見たので、私は妙に常ならず嬉しかつた。母に隣つてお兼が早速座布團を直して呉れたので、勢よくその上に坐つた。さゝやかながら圍爐裡には、火が赤々と燃えて居る。
「如何したの?」
と、矢張り微笑んだまゝで母と兩人の顏を見比べて私は聲をかけた。默つたまゝで笑つてゐる。誰も返事をせぬ。
「たいへん今夜は…