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水害雑録
すいがいざつろく
作品ID4396
著者伊藤 左千夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「左千夫全集 第三巻」 岩波書店
1977(昭和52)年2月10日
初出「ホトヽギス 第十四巻第二号」1910(明治43)年11月1日
入力者米田進
校正者松永正敏
公開 / 更新2002-04-01 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 臆病者といふのは、勇氣の無い奴に限るものと思つて居つたのは誤りであつた。人間は無事を希ふの念の強よければ、其の強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事を希ふの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持つた者、殊に手足まとひの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願ふの念が強いのである。
 一朝禍を蹈むの塲合にあたつて、係累の多い者程、慘害は其慘の甚しいものがあるからであらう。
 天災地變の禍害と云ふも、之れが單に財産居住を失ふに止まるか、若くは其身一身を處決して濟むものであるならば、其悲慘は必ずしも慘の極なるものでは無い。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覺悟したとき、自から振作するの勇氣は、以て笑ひつゝ天災地變に臨むことが出來ると思ふものゝ、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考へても事に對する處決は單純を許さない。思慮分別の意識からさうなるのでは無く、自然的な極めて力強い餘儀ないやうな感情に壓せられて勇氣の振ひ作る餘地が無いのである。
 宵から降出した大雨は、夜一夜を降通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、さうして有所方面に落ち激つ水の音、只管事なかれと祈る人の心を、有る限りの音聲を以て脅すかの如く、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
 少しも眠れなかつた如く思はれたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音聲におびえて居たのだから、固より夢か現かの差別は判らないのである。外は明るくなつて夜は明けて來たけれど、雨は夜の明けたに何の關係も無い如く降り續いて居る。夜を降り通した雨は、又晝を降通すべき氣勢である。
 さんざん耳から脅された人は、夜が明けてからは更に目からも脅さる。庭一面に漲り込んだ水上に水煙を立てゝ、雨は篠を突いてるのである。庭の飛石は一箇も見えてるのが無いくらゐの水だ。いま五六寸で床に達する高さである。
 もう疊を上げた方がよいでせう、と妻や大きい子供等は騷ぐ。牛舍へも水が入りましたと若衆も訴へて來た。
 最も臆病に、最も内心に恐れて居つた自分も、側から騷がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる風をして、何程増して來た處で溜り水だから高が知れてる。そんなにあわてゝ騷ぐに及ばないと一喝した。さうして其一喝した自分の聲にさへ、實際は恐怖心が搖いだのであつた。雨は益[#挿絵]降る。一時間に四分五分位づゝ水は高まつて來る。
 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が靜かになればと思ふ心から、雨聲の高低に注意を拂ふことを、秒時もゆるがせにしては居ない。
 不安――恐怖――其の堪へ難い懊惱の苦みを、此の際幾分か紛らかさうには、體躯を運動する外はない。自分は横川天神川の増水如何を見て來ようと我知らず身を起した。出掛けしなに妻や子供達にも、いざと云ふ時の準備を命じた。それも準備の必要を考へたよりは、彼等に手…

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