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月夜のけだもの
つきよのけだもの
作品ID4420
著者宮沢 賢治
文字遣い新字旧仮名
底本 「新修宮沢賢治全集 第十一巻」 筑摩書房
1979(昭和54)年11月15日
入力者林幸雄
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-03-25 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十日の月が西の煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。
 その青じろい月の明りを浴びて、獅子は檻のなかをのそのそあるいて居りましたが、ほかのけだものどもは、頭をまげて前あしにのせたり、横にごろっとねころんだりしづかに睡ってゐました。夜中まで檻の中をうろうろうろうろしてゐた狐さへ、をかしな顔をしてねむってゐるやうでした。
 わたくしは獅子の檻のところに戻って来て前のベンチにこしかけました。
 するとそこらがぼうっとけむりのやうになってわたくしもそのけむりだか月のあかりだかわからなくなってしまひました。
 いつのまにか獅子が立派な黒いフロックコートを着て、肩を張って立って
「もうよからうな。」と云ひました。
 すると奥さんの獅子が太い金頭のステッキを恭しく渡しました。獅子はだまって受けとって脇にはさんでのそりのそりとこんどは自分が見まはりに出ました。そこらは水のころころ流れる夜の野原です。
 ひのき林のへりで獅子は立ちどまりました。向ふから白いものが大へん急いでこっちへ走って来るのです。
 獅子はめがねを直してきっとそれを見なほしました。それは白熊でした。非常にあわててやって来ます。獅子が頭を一つ振って道にステッキをつき出して云ひました。
「どうしたのだ。ひどく急いでゐるではないか。」
 白熊がびっくりして立ちどまりました。その月に向いた方のからだはぼうっと燐のやうに黄いろにまた青じろくひかりました。
「はい。大王さまでございますか。結構なお晩でございます。」
「どこへ行くのだ。」
「少し尋ねる者がございまして。」
「誰だ。」
「向ふの名前をつい忘れまして、」
「どんなやつだ。」
「灰色のざらざらした者ではございますが、眼は小さくていつも笑ってゐるやう。頭には聖人のやうな立派な瘤が三つございます。」
「ははあ、その代り少しからだが大き過ぎるのだらう。」
「はい。しかしごくおとなしうございます。」
「所がそいつの鼻ときたらひどいもんだ。全体何の罰であんなに延びたんだらう。おまけにさきをくるっと曲げると、まるでおれのステッキの柄のやうになる。」
「はい。それは全く仰せの通りでございます。耳や足さきなんかはがさがさして少し汚なうございます。」
「さうだ。汚いとも。耳はボロボロの麻のはんけち或は焼いたするめのやうだ。足さきなどはことに見られたものでない。まるで乾いた牛の糞だ。」
「いや、さう仰っしゃってはあんまりでございます。それでお名前を何と云はれましたでございませうか。」
「象だ。」
「いまはどちらにおいででございませうか。」
「俺は象の弟子でもなければ貴様の小使ひでもないぞ。」
「はい、失礼をいたしました。それではこれでご免を蒙ります。」
「行け行け。」白熊は頭を掻きながら一生懸命向ふへ走って行きました。象はいまごろどこかで赤い蛇の目の傘をひろげて…

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