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チロルの旅
チロルのたび
作品ID44312
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「女性 第六巻第一号」1924(大正13)年7月1日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2005-12-10 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

ヴェロナ

 なるほど、………………………………。
 これがロメオとジュリエットの墓だな。大理石の棺には蓋がない。名刺がいつぱい投げ込んである。
 シェイクスピイヤの胸像が黒い蔦の葉の間からのぞいてゐる。
 そこで、絵はがきを売つてゐる。


トレント

 こんどはダンテの立像だ。見てゐると頸が痛くなる。

 オースタリイ軍に殺されたイタリイの薬剤師を憂国の志士と呼んでゐる。

 ――暑い。何といふ乾ききつた街だ。


ボルツァノ

 昨日まではボオツン。――南部チロルの古都。
 ホテルの食堂が暗い。


アルト・ボルツァノ

 高原の涼気を、まづ、胸いつぱいに吸ひ込む。
 ××××夫人の山荘を訪れる。――だしぬけではおわかりになりますまい。この婦人は、東京で生れ、ロンドンで育ち、ウィーンとパリで教育を受け、バヴァリヤの士官に嫁ぎ、やもめとなつて、このチロルを永住の地に選んだのです。
「ほんとに、あたくし、日本が懐かしくつて……」
 それで、日本の子守唄を歌ひます。花咲爺の噺をおぼえてゐます。それから……。
 ――おや、どうしてそんな顔をなさるのです。


メラノ

 メラナアホフ、ブリストル、ベルヴュウ、サヴワ、パラス……。
 ――よろしい、ホテルなら、もう取つてある。

 林檎はまだ小さく、葡萄はまだ硬い。

 アヂヂ川をさしはさむアスファルトの遊歩道路、朝顔のやうな日傘の行列。
 音楽堂の「アイーダ」はアルプス猟歩兵聯隊の示威演奏。
 フランネルのズボンが大股に毛糸の頭巾を追ひかける。

「御紹介いたします、こちらは、なんとかモンチ公爵夫人、こちらは、なんとかスキイ伯爵」
 ウイ……ダア……シイ……ヤア……イエス……さやう、さやう、こいつはたまらない。


トラフォイ

 海抜三千五百メートル。チロル・アルプスの絶頂。
 世紀は星の如く流れる。
「未来」そのものゝ如き低雲に囲まれた広漠たる大氷原に、君は、たゞ一人、立つたことがあるか。
 ――痛い、誰だ、豆をぶつけるのは。


インニツヘン

 国境の上で草を食ふ牝牛、お前が尻尾を向けてゐる方がイタリイだらう?
 返事をしないな。それでは、あのキリストの十字架像に訊かう。


シュワルツェンスタイン

 ローマの古城、今は、何とか公爵の隠遁所。
 金髪の少女が、乳桶を提げて出て来る。
 もう、鶏頭の花が咲いてゐる。


再びメラノ

 ドクトルC……の療養院はこゝだ。
 あの男はまだゐるだらうか。
 ――居る。窓に写真の乾板が乾かしてある。

「あたしは、どうしてかう人の名を忘れるんだらう。握手なら百度、散歩なら三十度、踊りなら六七度、接吻なら三度しなければ覚えない。」――と、ブカレストから来た女優といふのが云ふ。
 わたしはどうだらう。

 幸ひなことに、わたしの部屋は、たつた一つ離れて、三階の廊下の…

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