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![]() アンリ・ルネ・ルノルマンについて |
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作品ID | 44335 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集19」 岩波書店 1989(平成元)年12月8日 |
初出 | 「演劇新潮 第一年第十二号」1924(大正13)年12月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2009-10-17 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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仏蘭西の現代劇を通じて、「昨日の演劇」の余影と、「明日の演劇」の曙光とを、はつきり見分けることができるとすれば、前者は、観察と解剖の上に立つ写実的心理劇、並に、論議と思索とを基調とする問題劇であり、後者は、直感と感情昂揚、綜合と暗示に根ざす象徴的心理劇乃至諷刺劇である。
此の二つの流れは、それぞれ出発点を異にしてゐることは云ふまでもないが、前者が、後者の上に、何等の影響を与へてゐないといふ見方は誤りである。
いろいろの意味に於て、「今日の演劇」は、写実よりの離脱に向ひつつあると同時に、象徴的手法の舞台的完成時代であると云へる。そして、「舞台的」と云ふ以上、写実時代が立派に完成した「劇的文体」から、少くとも有力な啓示を享けてゐることは明かである。「心理的飛躍に伴ふ言葉の暗示的効果」――これは、戯曲の存する限り、総べての劇作家が心血を注ぐべき一点である。様式の如何に拘らず、ラシイヌ、モリエールよりマリヴォオ、ボオマルシェを経てミュッセに至り、最近、ベック、ロスタン、ポルト・リシュを生むに至つた仏蘭西戯曲の本質的価値が、今また更に、第五期の頂点を占むべき作家によつて示されることは、恐らく遠い未来ではあるまい。
現代の仏蘭西劇は――何時の時代に於てもさうであつた如く――外国の傑れた作家から多くの好ましい影響を受けてゐる。殊に、注意すべきは、それが、所謂近代の生んだ巨匠に限られてゐないと云ふ事である。
希臘劇の復活、シェイクスピイヤの新研究は、今日の若い仏蘭西劇壇に於て見のがすことの出来ない現象である。
浪漫派の名作家アルフレッド・ド・ミュッセの名が、新しい光彩と力をもつて甦りつゝあることを忘れてはならない。ミュッセは、最も真摯なるシェイクスピイヤ党であつた。
イプセンとマアテルランク、此の近代劇の二明星は、固より此の運動から除外することはできない。
かういふ憧憬と探究の渦巻から、「明日の演劇」が生まれるものとすれば、それは決して、「過去の演劇」と全く没交渉なものではなく、まして、「過去の演劇」に対する反抗がその主潮となつてゐる戦闘芸術であり得ないことは勿論である。
然し、兎も角も、「新しいもの」が生れようとしてゐる。
「永遠の花」が、「新しい花瓶」に遷し盛られようとしてゐる――といふ少しアンファチックないひ方が許されないだらうか。
三十年前、自由劇場の運動から生まれた多くの劇作家中、優れた天分を有つてゐたものも少くはなかつたが、真に生命の長かるべき作品を残した作家が幾人あつたか。それとても、まだ確乎たる文学史上の地位を築き得たとはいひ難い。ポルト・リシュ、ド・キュレルの二人を除いては、そして、ロスタンといふ彗星的作家を別にしては、古来天才と称せられる偉大な作家に比して、あまりにその距りの大なるを感じないわけに行かない。
今日、所謂仏…