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一言二言三言
ひとことふたことみこと |
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作品ID | 44340 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集19」 岩波書店 1989(平成元)年12月8日 |
初出 | 「文芸時代 第二巻第三号」1925(大正14)年3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | Juki |
公開 / 更新 | 2009-02-16 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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誇大妄想狂
幕末の志士は佳し。爾来ニキビ面の低脳児、袖をまくりて天下国家を論ずるの風、一時、奇観を呈せり。釈迦、基督はよし、ダントン、レエニンは佳し。今日、猫も杓子も、社会、人類を憂へて、騒然、喧然。
東洋人、由来、悲憤慷慨の気に富む。
――俺は、どうしてかう意気地がないのか。
――きやつは、実に怪しからん。
――貴様は何といふ恥知らずだ。
佳し、佳し。
希くは、「死すとも」それ以上を言ふ勿れ。
沈黙
沈黙は金……云々といふ格言を、文芸の道に通用せんとする人あり。
筆を折るに若かず。
最も巧みに選ばれたる言葉、これが文芸作品の全部なり。言葉と言葉との間に、若し、何か在りとすれば、そは、何ものにも非ず、たゞ、言葉のイメエヂがもつ広さのみ。
これを沈黙と名づくるは、言葉の命に無関心なる証拠。
言葉のイメエヂがもつ広さ、これは文芸の本質的価値を左右するもの。
含蓄、余韻、暗示的効果などの語、概ね、これを指す。
沈黙は金と断ずる論者、意、果して其処に在りや。
作者と作中の人物
一つの作品を論ずる場合に、必ず、その中の人物に作者を結びつけて、その人格を云々せざれば承知せざる批評家あり。
作品は巧みに書かれあるも、主人公の人物が気に食はず、故に、此の作品は面白くなしと云ふなり。
主人公の人物が気に喰はず、その性格に同情がもてず、女を追ひ出すとは不都合なり、どうして、あゝ酒ばかり飲んでゐるのか、扨ては、資本主義的なるは時代遅れなり云々などゝ、さも、自分の子供か友人に対してゞも云ふやうなことを云つて、それを今度は、作者に持つて行き、此の作者はまだ人間的修養が足らず、風格が出来てゐず、オツチヨコチヨイなるべしなどゝ罵倒す。
一寸、これ、困りたるものなり。
なるほど、作品を通じて、作者の一面を窺ひ得ることは事実なり。作品種篇を通じて、作者の面影を、ほゞ察し得ることは事実なり。
而も、作中の人物と、作者その人とは自ら区別あるのみならず、全然正反対の性格、気質、趣味を備へたる場合なかなか多し。作中の人物を通して作者その人を知るは、たゞ、その作中の人物が、如何に観られ、如何に取扱はれ、如何に描かれて在るかを知りたる上、かく観、かく取扱ひ、かく描く処の作者とは果して、如何なる「人間」ならんかと一考したる上なり。
しかも、それを以て、直ちに、作者の「全人格」を早断するは当らず。まして、作者の「道徳」を批判するは当らず。何となれば、世にも唾棄すべき「人物」を描いて、作者は、何等之に「道徳的批判」を加へざるのみか、その人物の行動に一種の「魅力」をさへ与へんとせるが如き場合、之を以て、直ちに、作者が、此の人物に好意と同情をもち、此の人物の行動を是認せりと思ふは誤りなればなり。作者は、此の人物を、単に「芸術家とし…