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作品ID | 44344 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集19」 岩波書店 1989(平成元)年12月8日 |
初出 | 「演劇新潮 第二年第四号」1925(大正14)年4月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | Juki |
公開 / 更新 | 2009-02-16 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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此の問に答へる為めには、先づ、日本現代劇――さう名づけらるべき個々の作品並にその作家の傾向、作風等に対し、一通りの研究ができてゐなければならない。私は、まだその研究を怠つてゐる。
で、甚だ大づかみな観方から、此の問題に答へることを許されるならば、私は次の如く答へよう。
日本現代劇はイプセン以後、今日に至るまでのあらゆる代表的欧洲作家の影響を、一と通り受けてゐる。曰く、誰、曰く、誰、一々名を挙げるにも及ぶまい。勿論、日本作家としては個人的にめいめいの好みがあるだらうけれど、結局、その「好み」に終始しないで、流行を追つて甲より乙に転じて来た傾がある。
大部分の人は先づイプセンの洗礼を受けてゐるだらう。一部の人は、趣味から云つてかなりマアテルリンクとかチエホフとかの影響を受けてゐるやうに見えた。今日ではそれも目立たなくなつた。近頃では表現派が多少の模倣者乃至共鳴者を生んだことは明かな事実である。現代劇作家の多くは英語又は独逸語の読める人である。前者はアイルランド劇に注意を払つたであらう、後者は、ハウプトマンやシユニツツレルに傾倒したであらう。
翻訳を通して読んだ人は、ストリンドベリイやゴオルキイからいろいろの暗示を受けたらう。之に反して恐らく、仏蘭西の劇作家からは何等教へられる処はなかつたらう。ブリユウなどが早く紹介されたにした処で。
日本現代劇はまだ揺籃時代である。私に云はせれば、外国劇のほんとうの影響は、これから先き受けようとしてゐるのである。あまり眼まぐるしく多くの外国作家を次ぎ次ぎと見せられた現代日本の劇壇は、まだほんの西洋劇なるものゝ形式的概念だけを掴み得たに過ぎない状態にある。
日本現代劇の主流は、何といつてもまだ写実から脱け出してゐない。つまり、西洋劇が比較的忠実な紹介者を得て、文学的に日本の劇壇を刺激啓発したであらう時代から、西洋劇からはもう何等学ぶ処はないといふやうな顔をしてゐる今日まで、結局、日本の劇壇は、傾向的に見て、何等の著しい飛躍も、推移もしてゐないことになる。これまた止むを得ないことであらう。西洋でも、それだけの期間には、実際、中心的な動き方はしてゐないのだから。
それにしても、相当、お先つ走りな日本劇壇が、一度は兎も角、新しく現はれたものにくつついては行くが、とゞのつまりはまた最初の出発点に帰つて、そこを自分の畑にする処を見ると、日本現代作家の頭に一番深く喰ひ込んだのは、写実時代のイプセン、翻訳的チエホフ、最も解り易いハウプトマン、気の抜けたマアテルリンクといふやうな処らしい。