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カルナツクの夏の夕
カルナックのなつのゆう |
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作品ID | 44359 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集20」 岩波書店 1990(平成2)年3月8日 |
初出 | 「婦人公論 第十年第七号」1925(大正14)年7月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2006-03-28 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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画家のO君から手紙が来て、静かな処だ、やつて来て見ろといふことでした。
細君からも何か書き添へてあつたやうに思ひます。
巴里から十何時間、ブルタアニュの西海岸で、その昔ケリオンといふ不思議な小人が住んでゐた処です。
宿はさゝやかなホテル・パンシヨン、国道を距てゝ美しい牧場などがありました。
海へも遠くはない。
聖堂の古風な鐘楼、広場の物語めいた泉水、それに、空は低く、森は黒ずんでゐました。
小川のへりに、牛が睡つてゐる。
女はレエスで髷をかくしてゐる。
カンナが赤く黄色く、食堂のテラスに咲いてゐました。
宿には、もう十人近くの客がありました。家族連れが多い。
夕食が済むと、みんなテラスへ出て、話しをしたり、歌を唱つたりしました。グラン・ギニヨル(物凄い芝居)の声色を使つて、女どもを喜ばせてゐる一癖ありさうな若者などもゐました。
ある晩、瓦斯会社に出てゐるといふM氏の細君が、「あなた方は若い方ばかりのくせに、どうして踊らうとなさらないの」と、さも心外らしく、一座の人達を見まはしました。
「ぢや、奥さん、ピアノをどうぞ」Sといふ工手学校の生徒がやり返しました。
食堂には、自働ピアノが置いてありました。
「僕は、風琴弾きを雇つて来ることを提議します」これはTといふ新聞記者でした。
「賛成」口々にかう叫んだ。
読者よ、今こゝで丁度月が出ることを許して下さるでせうか。そして、わたくしが少しばかり物想ひに沈んでゐることを……。
口髭を生やした大男が、風琴を提げてやつて来ました。
「リデエ!」
「リデエ!」
「リデエ!」
娘たちが騒ぎました。
リデエといふのはブルタアニュ特有の踊りなのです。
「さ、みんな輪になつて……」
郵便局の事務員、月給四百法のC嬢は、その弟の手を取りました。
「僕は、リデエなんか知らないよ」
「来ればわかるのよ」
わたくしは、O君の方を見ました。踊り好きの細君は、これもいやがるO君の両手を引張りながら、もう足だけは風琴の音に合はせてゐます。
「駄目よ、そんな顔したつて……」
わたくしは、どんな顔をしてゐたのでせう。多分、「君踊るかい」といふやうな眼つきをしてO君の方を見た、それなのでせう。それとも、「困つたことになつたなあ」そんな顔をしたかもわからない。O夫人は、御亭主とわたくしを両手に引据ゑて、「さ、あなたはマドムアゼルP……と手をおつなぎなさい。あんたは――と夫の顔を見て――あんたは、さうだ、マダムM、ねえ、ちよいと、奥さん、此の人の右の手を預かつて下さらない」
マドムアゼルP……と呼ばれた少女は、やゝはにかんでゐるらしく見えました。
此の憂鬱な東洋の青年が、恐る恐る差し出す手を、彼女はしばらく見つめてゐました。指は五本ある――彼女は、急に元気よくわたくしの手に飛びついて来た。実際、飛びついて来…