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「文壇波動調」欄記事
「ぶんだんはどうちょう」らんきじ |
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作品ID | 44365 |
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副題 | 03 (その三) 03 (そのさん) |
著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集20」 岩波書店 1990(平成2)年3月8日 |
初出 | 「文芸時代 第三巻第二号」1926(大正15)年2月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-10-07 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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文芸時代から創作をとの命を受けたこと、五六回、其の都度何かしら身辺に事故がおこつたりさもなければ時日が足らなかつたりして、とうとう一度も責を果すことが出来なかつた。かうなると同人中に名を連ねてゐることが甚だ不体裁であるやうに思はれる。がしかし今度こそは――同人を辞退するやうとの勧告を受ける前に――ほかはさておいて何か書くつもりでゐます。(岸田)
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此の欄で自分のことばかりいつては叱られるかも知れないが――
去年は丸半年を病床で過した。今迄は、病気で寝てゐるといふことが何もしなくてもいいことでありしたがつて自分の空想癖を満足させるのに最も都合のよいことであつたのだが、今度は、どういふものだか絶えず脅迫観念におそはれて云はば、病気を――少くとも病気で寝てゐる間を――利用することが全く出来なかつた。その上神経が恐ろしく疲れてゐる。頭がからつぽだといふのはかういふ時をいふのだらう。何もいふことがない、それはくだらないことしかいへないよりも更にもどかしい。
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年末年始の日記を書けと云はれたが、これも書く気がしない。かうして口授筆記をさせながら自分の云つてゐることが果して自分の考へてゐることかどうかをさへ疑ひたくなる位だ。といふのはつまり何か云ふために考へることの馬鹿々々しさを今更ながら痛感したわけだ。
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先日ラヂオで拙作「紙風船」を放送した。僕は今寝てゐる離れから、蒲団に寝たまゝ戸板の上にのせられて、ラヂオを引いてある母屋に、わざわざ聞きに出掛けた。ラヂオで脚本の朗読を聴くのはこれがはじめてだつた。
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ラヂオ劇の専門的考察は別として、演出者があの戯曲をあゝいふふうに解釈してゐるといふ一点だけで、僕は大いに教えられるところがあつた。あゝいふ読み方しかされない位なら、ああいふものを書くんではないとさへ思つた。(以上岸田)