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作品ID44412
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「サンデー毎日 第六年第二十七号(夏季特別号)」1927(昭和2)年6月15日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-04-03 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 四十年ぶりで、郷里を訪れたいといふ母の望を叶へる好機会である。私は、講演旅行の勧めに応じた。それで、いよいよ出発といふ段取りになつて、家に病人ができ、母は病人を置いて家を明けることを気遣ひ、私もそれは仕方がないこととして、一方、講演の約束を今更破ることもできないので、不本意ながら、まあ、若葉は到るところにあらうといふぐらゐの気持で旅に出た。

 食堂車の窓から、朝の関ヶ原を――あの山の影と茶畑の色彩とを貪りながめながら、私はいい旅をしたと思つた。
 が、ジュネエヴとやらに向ふ総督の一行と、それに何か関係のあるらしい連中が同じ汽車に乗りこんでゐて、政治的といふか、官吏的といふか、一種無作法な騒音が、夜中、屡々私の夢を破つたことは事実だ。浜松あたりであつたか、かの鯛飯を購ふや否やの問題が、潜水艦の噸数比例を決する如く論議された。

 大阪は単色の大都会である。といへば、何を今頃寝とぼけたことを云ふんだ、と思ふ人があるかもしれないが、私は寝とぼけてはゐないのである。大阪は実に大都会らしき華やかさと陰惨さとを、同時にあらゆるもののうちに兼ね備へ、大都会らしき落ち着きと慌しさとを、程よく織り交ぜ、大都会らしき新しさと旧さとを、巧に同じものの上に調合した又と類のない都市のやうに思はれた。
 東京には、どことなく「昨日」と「明日」とが対立してゐる。大阪には「今日」があるばかりである。それは生活そのままの相である。いや、誰がなんと云はうと、「今日」は生活の全部だ。そして生活は単色だ。
 大阪は、一つの大きな顔だ。瞬きをしない顔だ。鼻の孔を一ぱいにひろげた顔だ。

 阪神急行電車、西宮北口といふ停留場は、私に不思議な興味を感じさせた。先づ、あの線路の交錯は、西洋人が書いた片仮名である。そして、あの風車のやうなプラツトフオオム!

 T氏の案内で宝塚ホテルに宿を取つた。
 日光は南欧のやうに豊かだ。――私は、そこで、ふとピレネエの春を思ひ出した。
 ホテルのボオイが白足袋をはいてゐる。

 四階の窓は、爽かな展望をもつてゐる。
 殊にあの、河岸に沿ふて建てられた三つの劇場は、T氏の説明によつて、私の好奇心をそそつた。
 私の空想は、限りなく翼をひろげる。
 演劇のエルサレム! 私は巡礼のやうに敬虔な眼をあげて、夕暮の星を仰いだ。
 私は幸にして、まだ少女歌劇といふものを見たことがないのである。そして、ここでもまた見ないつもりである。

 中劇場国民座の舞台で、私の『百三十二番地の貸家』が演ぜられてゐる。
 見物は空気にひとしい。
 舞台では、たしかに、三つ四つの火が燃えてゐる。私は慰められた。
 小劇場はヴエエトオヴエン祭の管絃楽。
 聴衆はさすがに耳を忘れて来てゐない。
 この一堂は、恐らく、神戸――大阪を底辺とする三角形の頂点だ。

 翌日、大阪朝日の講堂で、フランス現代…

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