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「明るい文学」について
「あかるいぶんがく」について
作品ID44417
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「創造日本 八月号」1927(昭和2)年8月1日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-03-25 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

甲は云ふ――黒ずんだ文学にも少し飽きた。もつと明るい、赤味を帯びてゐても、青味を帯びてゐても、それはいゝ、もつと明るい文学が欲しいね。
乙が答へる――人生は黒ずんだものだ。
甲――明るいところもあるよ。
乙――それは、人生を深く観ないからだ。人生を真面目に考へないからだ。苦悶の無い人生は無意義だ。
甲――待つてくれ。明るいところも深く観れば暗いといふのだね。それなら、暗い処も、深く観れば、明るいのかも知れないぜ。人生を真面目に考へると、結局どういふことになるかね。苦悶を苦悶として生きるより外に、生き方はないのかね。「人生の幸福」とは、やつぱり「死」を指すのだらうかね。
乙――苦悶を苦悶として受け入れ、その苦悶を味ひ尽すことによつて希望への第一歩を踏み出すのだ。そこに人間的努力を意義づける生活の価値があるのだ。苦悶なき人間、苦悶を回避し又は苦悶と戦ひ得ない人間は、人類の屑だ。文学は、さういふ人間の為めに在るのではない。
甲――なるほど、君はそれでも、文学の初歩だけは修めてゐるらしいね。僕はそれから後の話をしてゐるのだ。処でどうだらう。君は楽天主義者らしいから、「よりよき人生」の実現を期待してゐるだらうが、或るものは、「あるがまゝの人生」に何も望めないことを知つて、その「あるがまゝの人生」をせめて自分だけ「よりよく生きる」工夫をするかも知れない。さういふ人間も、君に云はせると、人類の屑なんだね。
乙――さうさ。自分だけが「よりよく生きよう」などゝ思ふのは怪からん。
甲――それなら、これはどうだ。君は信仰をもつてゐる。人生を信じてゐる。現実を信じてゐる。処で、君のやうに此の人生、此の現実を信じない人間があつたらどうする。君達が人生だと思つてゐる人生、それは人生の仮面に過ぎない。ほんとうの人生は、もつと別な相をしてゐるのかも知れない。さういふ人生を探し求めてゐる人間があつたらどうだ。現実、これが人生の全部でないことは君だつてわかつてゐるだらう。しかも君たちはその現実を人生の、少くとも一部として信じてゐる。ある人間は、この現実さへも、信じられずにゐる。眼に映じ、耳に響き、肌に触れ、心に感ずる様々な事物が、かく映じ、かく響き、かく触れ、かく感ずることを既に疑つてゐる人間があるかも知れない。わからないか。君は或る「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れてゐるね。一部の人間は、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れることが正しいかどうかを疑つてゐるんだ。君達が「楽しい」と云つてゐることを「楽しい」と云はなければならない理屈はないと思つてゐるのだ。自分が「苦しい」と思ふとき、「楽しい」と思ふ時、「おやおや、おれはほんとに苦しんでゐるのか知ら、ほんとうに楽しんでゐるのか知ら」さう自分自身に訊ねて見る人間がないとも限らないではないか。
乙――さういふ人間は病人だ。
甲――さういふ人…

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