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よくぞ能の家に
よくぞのうのいえに |
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作品ID | 4445 |
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著者 | 観世 左近 二十四世 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆87 能」 作品社 1990(平成2)年1月25日 |
入力者 | 渡邉つよし |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2002-12-01 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたりまた万代の池の亀は、甲に三極を備へたり。渚のいさご索々として、あしたの日の色を朗じ、滝の水冷々として、夜の月あざやかに浮かんだり。天下泰平国土安穏、今日の御祈祷なり。
「翁」の章句である。この一節を謡ふ時は、何とも云へない晴々しい爽かな気分になる。元服の披露に初めて「翁」を舞つてから、今日まで凡そ百に近い数を重ねてゐる私だが「翁」は何べん舞つても、そのたびに心身の新なものを感じる。わけて正月の初会能に勤める時は、われながらまことに目出度い心持に溢れ、よくぞ能の家に生れて来たと思ふ。注連飾りに囲まれた能舞台に坐つて、初春の朝の日を浴びながら「たう/\たらり」と謡ひ出す気持は何ともたとへようが無く、その悦楽は経験した者のみが知るであらう。
「翁」は家の先祖観阿弥清次が応安の昔初めて将軍義満の前で能を舞つた時、大夫の役として第一番に演じた輝かしい記録がある。また世阿弥の時代に、すでにこれを神聖視した文献もあるが、能楽が徳川幕府の式楽となつてから、その取扱はさらに一層厳粛味を加へて来たことは否めない。代々の観世大夫がいかに誇らかに、また厳かにこれを勤めて来たことであらう。総ての大夫は「翁」を心から神聖視して「天下泰平、国土安穏」の祈祷として勤めたから、その見識もまた大層なものであつた。大夫の見識についてかういふ話が伝はつてゐる。
昔将軍家の能で「翁」が初まる時である。吉例によつて熨斗目長上下の若年寄が、能舞台の階段を昇り、橋懸へ来て幕に向ひ「お能始めませい」と声をかけた。これによつて幕が上り、大夫が出て来るはずのところ、どうしたのか一向大夫は姿を見せない。そこで正面の将軍家から楽屋へ使者が立ち「なぜ幕を上げぬか」と訊かれた。すると大夫の言葉に「従来翁を勤めます時には、若年寄が橋懸一ノ松で片膝をつかれて、お能始めませい、の御言葉がありましたのに、今日はその御作法がございませんから、如何なる仕儀かと見合せてをります」とのこと、これは大夫の申し条道理なりとあつて、若年寄はさらに舞台へ昇り橋懸へ行き、幕に向ひ片膝ついて声をかけ、漸く幕を上げたといふ。
今一つは私の祖父の廿二観世音大夫清孝が、尾州候で「翁」を勤めた時、上るべきはずの正面の御簾が下りたまゝだつたので楽屋から「今日の翁に、吉例にたがい正面の御簾が上がらなかつたのはいかなる子細によりませうや」といふ意味の伺ひを立てたところ、「聊か御不快だつたので御簾のうちから御覧になつた」由の御挨拶があつたと聞く。この御簾を捲いて御覧になるのは「翁」に限られたことで他の能の場合は別に捲き上げられぬようであつたといふ。かういつた調子で「翁」は能であつて能でなく一種の式典として扱はれてゐたのである。
だから演奏する方でも、非常に厳粛な態度をもつてする。昔は勿論のこと現在でも、みな前もつて別火…