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新劇の分類
しんげきのぶんるい |
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作品ID | 44458 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集23」 岩波書店 1990(平成2)年12月7日 |
初出 | 「東京朝日新聞」1937(昭和12)年5月11日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2009-12-08 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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近頃一部の演劇評論家の間に、「進歩的演劇」といふ言葉が使はれてゐる。これには勿論特別な意味を含ませてあるのであつて、僕たちの書くものはその部類にははひらないらしい。別に入れてもらはなくてもいゝが、そんな勝手な名前をどんな演劇が独占してゐるかといふと、旧左翼系のイデオロギイをちよつぴり臭はせたもの、即ち社会主義的問題劇なのである。
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嘗ては「前衛劇」といふ言葉がプロレタリア劇の代名詞であつた。日本だけで(或はロシアもさうかも知れぬが)そんな勝手な言葉の使ひ方をするのは甚だ困るのであつて、芸術の領域に於て「アヴアン・ギヤルド」の運動と云へば、断るまでもなく、既成陣営からのいろいろな面での離反、突出、先行を指すのである。
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現在わが国が当面してゐるやうな情勢では反資本主義的思想の争闘的ポーズのみを「進歩的」なりと称することは、著しく独善の臭ひを発散させ、少くとも新劇のあらゆる面での進歩発展に目をふさぐ結果になりはしないかと思ふ。
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これに対して、新劇のうちの「進歩的ならざる」ものを「芸術的演劇」――(芸術至上主義的演劇の略語か)と呼んでゐるのもどうかと思ふ。悪口はいくらでもいへるにしろ、芸術至上主義などといふ洒落たものが生れる時代ではないのである。